ホンバン

 トラウマやPTSDをテーマにした場合、対象が研究者(あるいは支援者)をその対象そのものの文化的豊かさによって魅惑する、ということはない。無数の悲惨な事実は、むしろ観察者を疲弊させる。研究書は往々にしてお互いにひどく似通ってしまう、貧困なまま。悲惨さに直面した言葉は、個々のケースに則してひどく具体的で断片的であるべきに見える。抽象に関わって具体を貧しくする、というのではない議論の難しさ。
 僕は「意味」を求めてきた。しかし極端な悲惨さや絶えがたい喪失は、意味など跡形もなく蒸発させてしまう。その蒸発に抗って考えること。意味にすがりつくのではなく。
 言葉がそうだが、まったくの断片は意味を成さない。しかし自閉的な言葉はまた意味を失ってゆく。
 落ち着いた意味が必要だ。僕らの言葉はあまりにもいろんな要請に晒されていて、あまりにも動揺している。

それにしても

 僕の言葉はあまりにも硬直しているように見える。僕は相変わらず、「世界がこのようである」ことに驚き怒り途方に暮れている・・・。それにしても、なんで世界は「こう」でなくちゃいけなかったかな。もう、人間ったらただの肉の塊・・・・電車やバスが「肉の運搬車」に見えてしかたがない・・・。そしてそこに乗り込もうとしている僕という肉・・・。あー、ここから逃れられない。
 でも、そういう僕が知り合いたちの存在によって救われているのも確かでね・・・。じゃあ何によって救われているのかといえば、それは「仕事をしている耳」とでもいうか・・・。「聞いてくれる」・・・「この人には伝わる」・・・それは単なる全面受容ということではなくて、「考えるべきことを考えている」人に対する信頼というか・・・。だから僕がトラウマという言葉なぞにこだわっているのも、きっと「耳」を作ろうとしているのだと思う。「聞く耳」を作る、それは社会的な仕事じゃないだろうか?

本番

 やむを得ぬひきこもり状態においては、全てのことが宙吊りになっている。自分が生きたいのかどうだか、人と付き合っていくとはどうなのか、人の集団はどのように成り立つのか、社会はどんなことを動因にして動いているのか、・・・こんなこと考えてていいのか、――ギリギリだけど、せっかく全てを宙吊りにしたのだから、そこから「一から」自分の手作業で考えていく、っていうのはアリなんじゃないかと思う。ただ、やっぱり・・・人とつながっていく方策だとか、どうやって生活費を稼ぎ出すのかとか、そういう基本的なところをクリアしないと、やっぱあまりにも余裕なさすぎ。衣食住足りてやっと考えるを知る。
 で、しかし、そうやって少しずつ動き出そうとしても、あるいは主観的にいくら「凍りついた時間」の中に閉じこもろうとしても、時間はあまりにも素っ気なく無慈悲で、容赦なく肉体を老いさせてゆき、僕から可能性をうばってゆく。「お前はもう死んでいる」っていう言葉は、実はドロップアウトした人間には生々しすぎる・・・。「君は『自分はまだまだ』って思ってるのかもしれないけど、残念だね、社会的にはとっくに死んでるんだよ。再起の可能性はすでに絶たれているんだ。ご愁傷さま」
 「ボクの人生の本番はこれからだ」という思い込み自体がすでに本番だし。って考えるとゾッとする。
 じゃ、ホンバンいきます。

「甘えている」

 ひきこもりへの非難として、「甘えている」「親に食わせてもらって」「自分だって状況が許せばひきこもる」などがある。多くの人が抱えている意見だと思う。
 不思議なのは、こうした罵倒を寄せる多くの人は、「本当の大金持ち」に対しては非常に寛大だということだ。少なくとも引きこもりの人に対するようには、説教したりはしない。大学生でベンツを乗り回していようが、その学生が宝飾品だけで数千万円もっていようが、どんなに楽しそうに毎日を過ごしていようが、「・・・・」と沈黙でやりすごす。なのになぜか引きこもりに対しては、「甘えるな、仕事しろ」。
 どうも、やはり「弱いものイジメ」なのだ。苦しんでいる人間の嫉妬心は、本当に恵まれた雲の上の人間にはあまり向かわない。自分のそばにいる、自分よりちょっとだけ恵まれているように見える人間に向かうのだ。
 自分が働かなければ食っていけない状況にいる人に比べて、引きこもりの人は恵まれていないか? 恵まれている、きっと。でもそれを言うなら、そもそも働いても食っていけないような状態にある人はどうなる? みんな、自分が他人から嫉妬される可能性は忘れて、自分よりちょっと楽そうに見える人に説教する。――要するに相対的な問題なのだ、「恵まれている」は。
 自分の条件が許す範囲で生きる。お互い様だ。それしかできない。
 すでに、ひきこもり状態から餓死してしまった人も出た。そんな人に「甘えている」と言ってどうする? むなしい話だ。
 そもそも、どうしてみんな、「お前も苦しめ」というようなことしか言わないのだろう。「ちょっとでも住みやすくなるように、一緒に良くしていこう」と、どうして言えないのだろう。
 ひきこもりは、黙っていても本人の可能性と未来を潰してゆく。言われなくとも、どんどん追い詰められてゆくのだ。