2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

見殺しにするほうがコストが安い、と本当に言えるか?

「親族に扶養能力があるなら、生活保護を受けさせるな」と言う人と、 「ひきこもる奴は家から追い出せ」と言う人は、同じだったりするんだろうか。*1 神経症圏の閉じこもりで決定的なのは、 (1)本人の努力の、量ではなくてスタイル。やればやるほどおかし…

すでに作り手になっていること

ご自身の HIV 感染をもとに舞台作品をつくりあげた古橋悌二氏(1995年10月逝去)に、 TV番組『News23』がインタビューしたときの映像より: http://bit.ly/Jvww3p 古橋悌二: アートという、アンタッチャブルなお城の中の作品だとは思ってないし、そのぶん、…

私もあなたも、すでに権力を生きているし、生きざるを得ない

説明なし、従え、のところは必ず軍隊のようになる。俺はもうそれが心の底から嫌いだから、そういう要素が少しでもあるところにはいられない。一度も運動部には入ったことがないが、そういう要素がありそうで、いやだった。まぁ、運動が苦手ってのがいちばん…

臨床上の立場と時間

精神分析で使われる概念枠と、それと似た言葉で各論者がやることの絡まり合いがややこしい。*1ひとまず精神分析では、 【神経症】 《抑圧》 独:Verdrängung 仏:le refoulement 英:repression 【精神病】 《排除》 独:Verwerfung 仏:la forclusion 英:f…

精神分析的な「制度」「グループ」の研究

破綻した個人にかんしては、社会的に擁護したところで仕事の一部でしかない。臨床家の技法だけでなく、《本人が内側から生きるための》技法が要る。ところが「健常者」は、そこで自分のやり方を自明視している。2012-05-21 19:12:59 via web @ueyamakzk 下の…

病棟の時間、記述の時間

あるイベントで西村ユミ氏*1は、「二時間かけて患者さんから聴いた話を、五時間かけて言葉にした」とおっしゃっていた*2。 同席していた松葉祥一氏*3と村上靖彦氏*4は、その現象学的記述の細かさをしきりに褒めておられたが、やや疑問が残った。 イベントで…

技法に関するメモ

書籍『組立』掲載の拙稿「主体化の失敗から、触媒としての生成へ」(p.92)より: 私たちはこれを、《決定》の制作過程(decision-making)に生じる技法の問題として、検討できるだろう。つまり、主観性や集団の危機は、作品としての decision が、うまく作…

健康をもたらす《診断=分析》の条件としての délire

http://togetter.com/li/269673 より: D&Gの翻訳で、いつまでも「délire(妄想)」を「錯乱」と訳し続けていると、こういった臨床的水準の論点はまったく見えてこないままにとどまる。それは本邦におけるD&G受容の大いなる不幸である。ということを、(いい…

論者は「何を」あきらめていないのか

古市憲寿、本田由紀『希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)』に対する、 大澤真幸氏による書評:《「何を」あきらめればよいのか、を問う》(ブック・アサヒ・コム) これは読めて良かった。*1 事業を共有できないときには、共…

笑いの難しさ

愛とユーモアの社会運動論―末期資本主義を生きるために作者: 渡邊太出版社/メーカー: 北大路書房発売日: 2012/02/01メディア: 単行本購入: 5人 クリック: 106回この商品を含むブログ (8件) を見る 著者からご恵投いただき、読み始めたら、一日でほとんど読ん…