2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

主体がまとまりを作ることができない。ひきこもっていて、「自分が触ったものを捨てられない」という人など*1。 ガタリも、みずからをまとめられない苦痛を語っていた*2。 自分をまとめられない、という苦しさから、党派性と自己を《現実の集団的構築》とし…

党派の分析、分析の党派性

つながりを生きるためには、党派の分析が要る。 「ひきこもりの治療」や「全面肯定」が、関係者への洗脳のかたちをしていないかどうか。 つながりを生きることは、必ず党派性を生きることになっている。 ひきこもる人は、孤立したカルト的党派。 意識生産の…

制度分析の技法論

本当に必要な制度分析を行なっても、それはほぼ間違いなく、制度的理由をもちだして拒絶される(「それをやると○○さんが解雇される」「○○さんが忙しいので」etc.)。 それまで制度分析の必要を語っていた人たちも、いざ自分の主観的惑溺を分析されると、強い…

党派性の分析――現実の集団的構築

カルトとスピリチュアリティ―現代日本における「救い」と「癒し」のゆくえ (叢書・現代社会のフロンティア)作者: 櫻井義秀出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 2009/01/01メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 42回この商品を含むブログ (12件) を見る …

問い直しの原動力としての《存在論的不安》

ひきこもりの〈ゴール〉―「就労」でもなく「対人関係」でもなく (青弓社ライブラリー (49))作者: 石川良子出版社/メーカー: 青弓社発売日: 2007/09/22メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 144回この商品を含むブログ (28件) を見る再読。 〔本書に関してで…

存在論的な《不安》

ハイデガー『存在と時間』の、以下の節より*1。 第40節 「現存在の際立った開示性としての不安という根本情状性」*2 第68節(b) 「情状性の時間性」*3 現存在はおのれ自身に直面してそこから頽落(たいらく)しつつ逃避するという言い方が了解されるために…

「そう考えるからおかしくなる」

ひきこもりについて、客観的なデータを挙げてあれこれ論じることは誰でもできる。しかし本当に問われているのは、努力するとなった時にどういう技法をもてばいいのかということ。努力を始めてしまった時点ですでに選択は終わっている、そのときすでに問題構…

科学でも詩でもなく、技法が要る

主観性の自己管理のあり方と、つながりのありかた つながりの実態が secret であること*1。 主観性の管理様式*2が決まってしまえば、つながり方の選択はすでに終わっている。 自分が抱える思考の必要を既存学問に閉じ込めることに成功した人たちは、自分で考…

お互いの巻き込まれを無視する「とりあえずやってみればいい」

自分の属する制度の分析はせず、「哲学者に制度は必要ない」と言うだけの丹生谷貴志(参照)と、「とりあえず働いてみればいいじゃん」という玄田有史は、関係に巻き込まれたあとにその場で考えなければならないことを無視している点で似ている。 生きる意味…

特異な論点設計こそが排除されている。

たとえば、分かりやすい猥談は許される。 ところが、「なぜセクシュアリティが問題になるのか」を考え直し始めると、旧来の論点*1で自分を正当化していた人たちは、気味の悪い話を始められたような不安を抱く。 「正しいか間違っているか」の検証のしかた*2…

「メタに立っているから発言してよい」のではない。

体験実態を素材化し、分節してみる――その生産スタイルをこそ呼びかけ、実演している。 論じる自分は、出発点ではオブジェクトレベルにある*1。 関係責任という意味での当事者性が問われるのであって、「○○当事者だから特権化される」ではない*2。 ひきこもり…

インテリごっこの奴隷根性

悪質さは、自分が実際に生きている関係性を黙殺するところにある。 メタ言説さえやれば、すでに生きられている関係実態は分析しなくてよいことになっている(それが大前提なのだ)。 「自分はこれをやっているのだから、あとは褒められて当然。知的生産様式…

「人間関係」は、それ自体として生産諸関係

意識そのものが労働過程であるなら、個人の社会化は、生きられた労働過程の社会化として語り得る。 現代の労働過程は、商品が売れたあとになって遡及的に「有意義だった」ことが確証される。 作ったものが売れなかった時には、「あのプロセスには意味がなか…