2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

二つの面会

今日は、ひきこもり事情に詳しい二人の日本人との面会のあと*1、 フランスの精神病院で30年勤務しておられる仏人女性とお話できた。 私は日本語とつたない英語でしゃべり、彼女は英語とフランス語で話したのを同席したかたに通訳いただいたのだが、この複…

制度の内/外

制度内にいる人間は、制度のやり方に従うかぎりいくらでも酷いことができる。 制度内の人を攻撃するには、同時に制度そのものを批判せねばならない(批判者は、制度と対立してしまう)。制度外の人間は、そのつど自己弁護を強いられる。 しかも、弁護の方法…

適応という臨床課題

ひきこもりに関しては、各学問の専門性を踏襲しても、議題設定をまちがいます。 なぜなら、《順応すること》それ自体が問題になっているから。 「順応しようとすればするほどドツボにはまる」という主観性の委縮のほかに、 次のような指摘があります: 僕は…

「字数制限コメント」は、文脈を無視してメタポジションを維持するが…

一行コメントに長々と返答すれば、長く書いたほうが滑稽に見えるのは当たり前です。 いくら書いても、「それは違う」の一言で終わる。 たとえばこれが twitter の利点でありつつ、利点とばかりも言えません。 旧来メディアと同じく、発言行動がいつの間にか…

配慮の中身

酒井泰斗(id:contractio)氏の発言より: 「社会的排除という概念は要らない」(参照) 「逸脱論というフレームにはまったく依拠していない」(参照) 「社会的排除」「逸脱論」というフレームで研究中のアカデミシャンもおられるので、これだけで大きな論…

《取り組みかた》が、苦痛機序になっている

理論についても現場についても、 ある苦痛を和らげようとして、かえって苦しみを強めてしまう ことがあります。 アプローチの仕方が、扱うべき問題を隠してしまう。 森直人氏「社会的排除と教育社会学」より: 「社会的排除」という概念が突破口になるわけで…

オタク化ではなく、紛争処理

ひきこもりは関係当事者にとって紛争として体験されている*1。 「病気・障碍」枠は、紛争処理のツール。 それを性急に持ち出すことは紛争の内実を理解することにならない。 本人に必要なのは、自前で維持できる紛争処理活動。 委縮して孤立するため、どの手…

問題化の手続き

拙エントリを受けて追加された酒井さんのコメントより: 上山: 「逸脱研究」という問いの作法が先にあって、そこから若者を見ようとする、メタ視点への欲望 ──そうじゃなくて。 ヤンキーたちは「逸脱」してようがそんなに困らないよね?という話でした。 (…

問いの固着

石川良子『ひきこもりの〈ゴール〉―「就労」でもなく「対人関係」でもなく (青弓社ライブラリー (49))』に対する、酒井さんのコメントより: この箇所とか、自分にとっては──「世の中には こういう考え方もあるのか!」的な意味で──衝撃的だった。[p.143-144…

当事者的な分析の条件

拙エントリーに、稲葉振一郎氏からいただいたコメント(参照)より: id:shinichiroinaba : 臆面もないルサンチマンというより権力志向が醜悪を通り越して滑稽 どういうつもりか知りませんが、暴言には付き合いません。 泣き寝入りするつもりもありません。…

酒井さん(id:contractio)への御礼と、ひとまずの締めくくり

今回のやり取りを始めさせていただいて、もう2か月が経つのですが(参照)、自分で想定していた以上に、努力の前提が組み替わってしまいました。 お返事に努める中で、これまで積み重ねてきた疑念が、形を成したかっこうです。――つまり、 私のような問題意…

問題意識に市民権を与える、という支援活動

私には、既存の学問に殉じることが、必要な問題意識の息の根を止めることに見えています。 そこで、一般理論をかこつ社会学とは別の手続きを持つらしいエスノメソドロジーに興味を持ったのですが、それが正しい興味だったかどうか。現状のひきこもり政策や専…

アリバイ確保のフォーマットと、ライフログ

社会復帰が、本人への社会的承認を作ることだとしたら、「社会復帰の支援」は、既存のフォーマットに乗っかって、本人のアリバイ確保を目指すことです。 しかしそれは、順応主義でしかない。一定の関係秩序の担い手は、単に自分の領土を広げようとするだけで…

当事者論を組み変えるために 7

【「6」のつづき】

「主体構成の新しいあり方」

先日ネット視聴したシンポ(参照)では、 「オタクが、主体構成の新しいあり方かもしれない」(シュテフィ・リヒター) 「社会的文脈の無関連化によるコクーニング(繭化) ⇒解放を期待した」(宮台真司) という視点が示されていました*1。 私はまさにこの…

「あぶなくて言語化できない」

先日の合評会では、酒井さんから次のような趣旨のご発言がありました(参照): アカデミック・ポストのある人は、その質問には危なくてコメントできません。 私がエスノメソドロジー(EM)に求めたものと、「やっぱり無理ではないか」という懐疑は、↑この一…

当事者論を組み変えるために 6

【「5」のつづき】

順応主義者であるという逸脱

所与の学問制度に乗っかるだけで引きこもりを論じることは、むしろ許しがたい逸脱です。 順応そのものが問題なのに、その専門家を自任する人たちがベタな順応者でしかないとは、どういうことなのか。 【⇒エスノメソドロジーは、順応そのものを主題化する議論…

(2) 《正常な社会参加》という保守的な理念

つながりの作法を自覚しない関係性では、同じ正当化のパターンが反復されており、その意味での順応主義が当然視されています*1。 逸脱者に受容的な共同体でも、そのコミュニティ内部の《つながりの作法》は絶対的であり、そこからの逸脱は糾弾の対象になりま…

(1) 《代表 representation》の問題

「ひきこもるいきさつは多様なのに、一部の人が代表ヅラして語ることで、実際に苦しむ人たちが抑圧される」という、それ自体は正しい意見。 しかしこれは、代表制のウソを自覚したうえで相応の政治的発言を試みたり、内在的に《苦痛の秩序》を分節する作業ま…

当事者論を組み変えるために 5

【酒井泰斗さんへのお返事であり、「4」のつづきです。】 私がエスノメソドロジー(EM)に求めたのは、 投げ入れられた状況に一方的に流されたり利用されたりしている人に、 状況を問題化するための手続きを与える ことであり、例えば以下のような必要があ…

「ライフログ運動の中心としてのニート」

「ニートを社会運動の中心にする、ってのは既定路線」 「ジャーナリズムとはライフログの編集である」 ⇒ winny こそ史上最強のジャーナリスト 「社会にコモンナレッジ(共通知識)は必要なのかというのが根本問題」 「社会がニートに依存する状況がないと結…