2009-02-01から1ヶ月間の記事一覧

なかったことにできない

私は、社会参加も、人の集まりも、セクシュアリティも、訪問支援も、耐えがたいものとして主題化している*1。 ところが “支援者” たちは、「つらいけれども、順応できる何か」だという。 彼らは、飼い馴らせることを前提にしか論じない。 私自身が、「社会参…

「社会性とは何か」は、「臨床性とは何か」に近づく

今の政治哲学には、せいぜい「多様性の肯定」しかない。 つまり、お互いを承認し合うだけの《結果物の社会性》しかない*1。 「多数者から支持される、輝きをもった存在になれ」というと、商品になること。 「他者を無条件に肯定せよ」というと、政府による命…

弱者の自己監禁としてのナルシシズム

最寄りの本屋で、私より若いと思われる野宿者がいた(すごい臭気)。 親にかくまわれなかった自分がいる、と体で感じた*1。ストーカーは、何年もかけて築いてきた仕事や人生を、一瞬で破壊する。 ナルシスティックな嫉妬心のために。 自分が被害者だと言い張…

「引きこもり:イタリアでも急増 日本を例に有力紙が特集」(毎日新聞)

【ローマ藤原章生】 イタリアの有力紙「コリエレ・デラ・セラ」が同国で目立つ「引きこもり」を特集した。相談に来る親が急増しているという精神科医らの証言を基に、原因を探っている。 記事(11日付)は「イタリアの引きこもり(hikikomori)、東京のよ…

自己矛盾による批評の拒否

「すべて受け入れてほしい」と願うあなたは、自分を受け入れない人を認めない。 つまり、他人を条件つきで見ている。 受け入れてくれるか否かではなく、お互いに「なにをしているか」を見なければ、批評が排除される。 「生命を無条件に肯定せよ。さもなくば…

『夕刊フジ』連載 「引きこもる大人たち」(池上正樹)

(1) 「日本の病巣〜ひきこもる大人たち」 工藤啓 高塚雄介 (2) (引きこもりになりやすい人) 高塚雄介 (3) (ヒステリー反応、ひきこもり予備軍) 高塚雄介 (4) 「残業中、緊張の糸が切れ」 (5) 「会社の流れに乗り損ね」 (6) 「正義感が…

「引きこもる大人たち 34 〜親を殺さなければ打開できない“現状”」(池上正樹)

記事中で、「現状を打開しようと親父を刺した」というのは、こちらの事件です。 それに対する私のコメント部分: 「ニュースだけでは細かい事情は分かりませんが、猟奇的に異常視しても有害なだけです。ひきこもりでは、自分のせいで親が苦しんでいる、とい…

中間集団の実態と、恒常的な素材化の必要

「ひきこもり経験者の立ち上げた居場所」、『京都ARU(アル)』の代表・梅林秀行氏(35歳)のインタビューが、2月10日付の『夕刊フジ』に掲載されています(11面)。 以下、同文のネット転載である「必要なのは『生きた支援』の場」より(執筆は池上正樹氏、…

「境界に立つ審査会」はできないか

15日、「ほっとねっと兵庫」の「兵庫ひきこもりシンポジウム」に聴衆として参加しました。 15の支援団体が集まったイベントです。 ひきこもり経験者の発言や演奏、親御さんのコメント、支援者の活動報告などがありました。(許可なき撮影や録音が禁止され…

党派分析

自分への距離をもたない人は、状況を素材化して分析しただけで怒り出す。 党派性へのフットワークを維持しただけで、「あいつは政治活動している」と陰口をたたかれる*1。 活動を始める前は、私を痛めつけるのは保守と右翼だと思っていた。 しかし実際には、…

正義と臨床

最近ようやく分かってきたのですが、私が試みてきた活動は、ある意味では《証言》であり、最初から法的-政治的な側面をもちます。 痕跡と伝達をめぐるデリダらの議論*1は、法的-政治的側面は扱っても、臨床過程のモチーフがありません。 逆に臨床過程をあつ…

永遠と変化 (3)

一連のイベントに参加しての、個人的なメモです。 動かすこと――党派性と非日常 「19世紀に永遠が崩壊した」といっても、現代では「終わらない日常」が永遠化し、私たちを窒息させている。 ハイデガーが、ゴッホの描いた農夫の靴に「永遠という非日常」を見…

【2月8日】 多賀茂 × 三脇康生 【参照】

多賀氏は冒頭でドゥルーズ『シネマ1』の前書き原文を参照し、「ひとの外にある現実」と、「ひとの中にある現実」の境界を語った。 物質でも観念でもない「イマージュ image」、「ひとの中にあるひとの外」である無意識。 私はそれを聴きながら、「だからこそ…

永遠と変化 (2)

前回の続きを、私の主観を交えながら記します。(パネリスト発言の引用は、私が受け止めた範囲での大意・要訳であり、発言者の趣旨とは違っている可能性があります。)

【2月6日】 丹生谷貴志 × 鈴木創士 【参照】

丹生谷氏がメインで語り、鈴木氏がコメントをさしはさむ形。 写真や映画の歴史、芸術という翻訳語のいきさつ、作家の具体例など、勉強になるレクチャーだった。 芸術とは、うつろいゆく存在である人間が、大切なものを永遠化しようとして戦うこと。 《神=永…

【2月5日】 宇野邦一 × 勅使川原三郎 【参照】

5日の13時から、宇野氏の講義、勅使川原氏のワークショップ、宇野氏と勅使川原氏の対談イベントに続けて参加。 宇野氏の言葉とのつき合い方、勅使川原氏の居ずまいから影響を受ける*1。 私たちは時間「のなかで」生きている(という言い方を日常的にする…

永遠と変化 (1)

連続で、次の各イベントに聴衆として参加しました。 【2月5日】 宇野邦一 × 勅使川原三郎 (参照) 【2月6日】 丹生谷貴志 × 鈴木創士 (参照) 【2月8日】 多賀茂 × 三脇康生 (参照) 以下、私の主観を交えながら、ごく簡単なメモを記してみます。(…

いきなりつながろうとするのではなく、「問い直し」の合流を

■「シンポジウム:ひきこもり巡り、「ほっとねっと兵庫」が初めて」(毎日新聞) ひきこもりの若者や家族を支援している県内の15団体からなるネットワーク「ほっとねっと兵庫」が来月(2月)15日、神戸市中央区で初めてシンポジウムを開く。ひきこもり…

中間集団の制作過程――意識されざる生産態勢

「日本語の生産態勢」*1は、文法だけで論じられるものではない。 同じ日本語を使っていても、べつの「倫理=制度」が生きられ得る。生きられた言語のプロセス*2において、正当化のスタイル*3はどうなっているか。 その意識されざる態勢が、中間集団のあり方…