2009-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「関係の当事者」

支援の対象として、操作できるかのように語られる「○○当事者」。 そう名指される側も、自分をそう名指すことで自分を操作対象にし得る――ナルシシズムの対象に。 しかし、「関係の当事者」として分析的な発言を始めると、自分は「操作対象」ではなくなる。 事…

臓器の形成過程であり、息をする過程そのものとしての「抽象機械(machine abstraite)」

「三脇康生のフィールドワーク」より(強調は引用者):*1 私はここで「からだによる現象学的還元」とはまさに、定常状態を制度分析によって打ち破りながら作動する仕組み、という意味での抽象機械ではないかと考えさせられた。 ガタリがドゥルーズとともに…

正当化のスタイル

「社会が間違っている」という人は、そう語るスタイルが間違っていることを問題にしない。 語ろうとするときのスタイル*1は、正当化のスタイルを体現している。 あなたのその語りのスタイルが、時間のなかで周囲との関係のなかで間違っている可能性がある。 …

批評的で公共的な生産過程は、いかに武装するか(されるがままにならないか)

詐欺・差別・嫌がらせ・脅迫。 社会生活でイレギュラーだと思っていたほうに、むしろ生活臨床のキモがあった。 メタ談義は、その現実を覆い隠す。(制度化されたメタ談義は、集団的バイアスで人を威圧しているのに、「自分だけは暴力ではない」ような顔をし…

「当事者化=マテリアル化」は、メタな救済に抵抗する

「当事者」という言葉は、たとえば「日本人」と同じフレームをもっている。 やたら聖化されたり、「どこからどこまでが日本人か」とか。 「日本人の心は、日本人にしか分からない!」とか。 論じている自分を置き去りにした正義の思考は、この意味での右翼性…

参加の手続きとしての分析

『医療環境を変える―「制度を使った精神療法」の実践と思想』p.230-1 より、松嶋健、三脇康生、私のやり取り(強調は引用者)。 松嶋: ひきこもり当事者として自由に話してくださいと。そういうフレームの中で全面肯定されて、ということは逆に言ったら、ひ…

結果物のナルシシズム

「制度分析は、実定法との関係でどう可能か?」(参照)だけでなく、法的思考や裁判過程そのものが、みずからの制度順応についてアトリエ性*1を含む必要がある*2。 過去に作られた制度である法システムに対して、「現在の生きた火」である労働力はどう順応す…

思想は、労働過程の制度をめぐる

結果的な作品から、その生産過程の趣旨を読み解く東浩紀のデリダ論には、「生産過程」というモチーフそのものはない。 しかし、脱構築という議論は、「反復される生産労働-過程の趣旨」をめぐっていないだろうか。 「現前の形而上学」という批判は、「結果物…

批評と臨床の場所――生産過程と流通過程

早稲田文学 2号作者: ミシェル・ビュトール,東浩紀,宇野常寛,川上未映子,円城塔,鹿島田真希,福嶋亮大,千野帽子,早稲田文学会,篠山紀信出版社/メーカー: 早稲田文学会発売日: 2008/12メディア: 単行本(ソフトカバー) クリック: 40回この商品を含むブログ (2…

社会生活のカルト性

ひきこもっていた人が社会復帰するときに、カルト的に硬直した帰依が見られることがある*1。 支援者に、誰かの思想に、アカデミズムに、etc....。 そこで考察が必要なのは、「そうか、ひきこもってた奴はカルト化するのか」ではなくて、論じているあなた自身…

公開セッション「生命という戦略――時間あるいは空間(経済そして政治)のはじまりとしての」

日程|2009年1月25日[日] 時間|13:30―16:30 会場|東京国立近代美術館 講堂 定員|130名 参加費|1,500円 主催|近畿大学国際人文科学研究所 [出演] 大橋完太郎 [表象文化論] 郡司ペギオ-幸夫 [理論生命科学] 三脇康生 [精神科医/美術批評家] …

新刊: 『「ひきこもり」への社会学的アプローチ』 (正)

【参照:(序)】 「ひきこもり」への社会学的アプローチ―メディア・当事者・支援活動作者: 荻野達史,川北稔,工藤宏司,高山龍太郎出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 2008/12メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 46回この商品を含むブログ (11件) を見…

政治的分節の場としての臨床面接

フランスでは、ラカン派の精神分析家が国家事業に協力し、無償での(!)精神分析臨床に取り組んでいるとのことだが、そこでは「精神分析家」が、移民や失業・不安定就労など、フランスの社会問題の最前線に直面しているという(9月20日シンポでの立木康介氏…

『医療環境を変える―「制度を使った精神療法」の実践と思想』の書評

書評者は、『逸脱の精神史』などの著者である酒井明夫氏*1。 雑誌『こころの科学』最新号(2009年1月号、通巻143号)に掲載されています(p.115)。 *1:岩手医科大学神経精神科学講座主任教授

ひきこもり臨床論としての美術批評

斎藤環『アーティストは境界線上で踊る』(みすず書房)刊行記念のトークショー、 斎藤環×岡崎乾二郎 「アートに“身体”は必要か」 を熟読した(掲載は『みすず(no.563)』2008年8月号)。 これを私は、美術批評であると同時に、ひきこもり臨床論として読ん…

当事者性は、「再検証=素材化」にある

電車に乗るのが平気な人にとっては、「電車に乗れない」のは甘えになる(参照)*1。 「成人男性のくせに猥談が耐えられない」のは、男社会では甘えや未成熟と見なされる*2。 一般の人は、当事者発言を「しない」ことで生き延びる。 嘘をついて、「自分はちゃ…

「正当化の労働」を分析すること

現今の言説は、当事者語りが目指すことと、学者語り*1が目指すことが解離していて、その解離を問題にできていない。 いわゆる“当事者” 「自分の苦しみ」*2 医師・学者・知識人 「メタで客観的な言説によって自分の存在と言葉を正当化したい」*3 この両極しか…

謹賀新年

ひきこもっていた状態から抜け出して、もうすぐ9年になる。 その間、「もう二度と人とは関わりたくない」と思うことばかりだった。 バカな環境を改善するのが仕事だと思う。 (その労働こそが、彼らの攻撃対象なのだけど) それでも続けようと思うことを、大…