2006-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「ジェンダーフリー論争に潜む俗流若者論の罠 featuring 後藤和智さん(1)」

chiki ・・・・私が「専業主夫」というのを「オルタナティブ」として賛美する言説に違和感を覚えるのは、その種の言説が進歩ぶったポ−ズをしながら「食事も金もセックスも住居も承認も提供してくれる代理ママきぼんぬ」という「マザコン的発言」にしか聞こえ…

『「ひきこもり」がなおるとき (講談社+α新書)』(磯部潮)

「なおるとき」という直截なネーミングの時点で姿勢の選択があるが、そういう細かい議論はほとんどない。 ただ、それも「精神科医」という役割を引き受けているだけとも言える*1。 ユーザーは、情報やインフラの使い手として賢明になるべきなのだと思う。 同…

「ひきこもり本」

書き手は、精神科医であれカウンセラーであれ民間支援者であれ、要するに「思想家」として振る舞うことを余儀なくされている。 親を指導し、「人として生きるとは」みたいな話をいつの間にかしている。 医療枠組みに押し込んで理解することはできないし。 ▼…

つくづく思うのだが

人間関係は、個人を中心に放射状に理解すべき。 輪っかを描いた、サークル的・党派的な理解はまずい。

倫理の参照地点は、ナルシシズムの口実にもなる。

「ブンガク」とか「ジャクシャ」とか「ムイシキ」とか。 《外部》に向けた誠意は、容易にそれ自体が硬直したナルシシズムに転化し得る。 倫理と見えるものが、「システマティックな傲慢」に見える。

NHKスペシャル「ワーキングプア」視聴

みました。

幻滅

「勝ち誇るナルシシズム」というふうにしか見られないし、そこにしかモチベーションを見てくれない。 事柄に即して忘我的に考えるのではなく、あらかじめどのように勝ちたいのかが夢想されていて、そこを目指してしか考えない。 「問いの再措定」ではなく、…

再帰性をめぐって

ひきこもりに関連する読書会チャットや斎藤環さんのイベント発言などを通じ、《再帰性》という概念が重要に思われてきた。 ▼先日のイベントで配っていただいたレジュメで少しだけこの話に触れてみたので、ほぼそのまま転載してみる。 強迫観念の枠組みとして…

比喩としての、「不潔恐怖と洗浄強迫」

最近お邪魔するイベントや講義では、ひきこもりの状態を「不潔恐怖と洗浄強迫」になぞらえ、次のように説明している。 ひきこもっている人で、たとえば2ヶ月以上お風呂に入れなくなる人がいます。 それは外部から見ていると、「清潔観念のない人」に見える…

「働くことはよくないんですか。」 (id:yeuxquiさん)

もう上の世代には期待していないので若い人は頑張ってください(現場はこういう感じです)。

イデオロギーについての戯言的連想

警察機構などが「国家のイデオロギー装置(AIE)」、その物質的定在であるとして、言語そのものは、「社会生活のイデオロギー装置、その物質的定在」だろうか。 ▼「イデオロギーの呼びかけ」に応答することが「主体化」であるとすれば*1、言語そのものに応答…

「再生産は長く続く?――アルチュセール・マラソン・セッション」パネラー参加

山田潤さんと初めて言葉を交わせた。 拙著を読んでくださってて感激。 ▼「働いてて一番苦しいのは、休み時間」 「最悪の疎外要因は、単純労働ではなく人間関係」 「だから若い人は、労働組合のある職場を避ける」といった私の話には、抵抗を示されていたよう…

近況

16日、とある診療所のオープンミーティングに参加 19日、仁愛大学で三脇康生氏の講義にゲスト参加 いずれも疲労したり動揺したりいろいろしたが、行かないより行ったほうが絶対よかった。 (関係者の皆さん、ありがとうございました) いまの僕は、「社会参…

TV番組情報:「ワーキングプア 〜働いても働いても豊かになれない〜」(NHKスペシャル)

7月23日(日) 午後9時〜10時14分

「ミュンヒハウゼンのトリレンマ」

ある価値観の正当性を主張しようとすると、「無限背進」「論理循環」「正当化の恣意的打ち切り」のいずれかに陥ってしまうことを、ドイツの哲学者ハンス・アルバートは「ミュンヒハウゼンのトリレンマ」と呼んだ。*1 ある価値観は、外部の「客観的権威」で保…

「汝の症状を生きよ」について

読書会チャットでは言及できなかったが、私が『家族の痕跡―いちばん最後に残るもの』(斎藤環)で最も鮮烈な印象を受けたのは次の箇所(p.171)。 私は価値観という言葉を、ほとんど「症状」と同じような意味で用いざるを得なくなっている。 「価値観とは症…

ひきこもりと摂食障害を比較しながらの研究会に参加。

医療化の目線を採るならば、私のblogや著書は、その全体が「患者の症状」として陳列される可能性がある*1。 いや、そもそも「健常者」とは同列に見られていないかもしれない。 「社会科学における社会学」の位置づけと、「精神医療界における心身医学」の位…

孤立とインフラ

「孤立=ひきこもり」ではないかもしれない。 どこにも属せなかった者がそれでも社会に関わり続けるには、インフラレベルに習熟する必要がある。 その「習熟すべきインフラ」が、情報テクノロジーであり、法律(実定法)なのではないか。 昔ならば、あるいは…

中間集団と党派性

ひきこもりは、直接には「中間集団からの脱落」という形を取る*1。 逆に言えば、サバイバルの鍵は「中間集団への参入」にある。 経済的な事情をまかなえる中間集団に恒常的に参加できれば、それ以上「社会参加」する必要はない(これは誰でも同じのはず)。*…

イベント:「格差社会を考える」(PDF)

観客として参加してきました。

YouTube歴代第1位 「Evolution of Dance」

わかるダンスは5つぐらいだけど、すごく楽しい。 「DVDの予約受付中」とのことで、 楽曲の著作権確保のため、リリースは2006年8月になりますのでご注意ください。 Please note that the projected date of release is August 2006 due to securing music ri…

「500人250組の男女でつくる合同セックス日本記録(18+)」(『ザイーガ』)

【そのAV作品】、【レビュー1】、【レビュー2】 (注・閲覧注意) 「セックスは神聖なものだ」という未経験者のビビリの是非。

「刑法には「人を殺してはいけない」とは書かれていない」(大石玄) 【そのブクマ】

法と規範の関係について。

ひきこもる意識の檻

再帰性の強迫化 疎外の内面化 この2つが深く関係している。 【参照】 「ひきこもりは、問題意識が自覚化されるほど悪化してしまう(内省の過剰が社会性の回避につながる)」 「定言命法の強迫観念化(超自我は、攻撃欲動の内向化)」 「24時間オン(規範…

「規範との付き合いかた」

私がTV番組の文字起こしを公表し、自分でTV局に連絡を取って著作権についての意向を確認した件について、「なんで自分から連絡してんだバカ!!」(大意)という忠告を、ある知人から頂きました。 「なるほど、ヒキコモリ的だね」と。 知人が指摘してくれた…

弱さについてのメモ

弱さについて語っている言葉自身が弱い。 弱い語り手は強くなる必要がある。 強くなると弱さ自身は代表できないというが、個人レベルで代表すべきことと政策や問題意識のレベルで言説構成すべきことは違う。 サバルタンの話を言いすぎる人は嫉妬か、その問題…

嘆き

理論的に自信を持って自分の立場を確立するよりずっと前に、さまざまな政治的潮流に巻き込まれてしまう。 でも、それを恐れていると、いつまでたってもどこにも参加できない。

「中間集団」

「public sphere」(公共圏) 「private sphere」(私事圏) 「intimate sphere」(親密圏) しかし、個人が属する個別社会としての中間集団の一部(アカデミックサークルなど)や、いわゆる「党派性」というのは、これでは語れないはず。

社会学とは――「公共社会学?」(太郎丸博氏)

「今日の社会学の問題は公衆への発信がないことではなくて、発信すべき理論的知識を生産していないことにある」(盛山和夫) 盛山によれば、「異なって対立している諸文化と意味秩序に対して、それらが共有しうる新たな意味秩序を提示すること」が、公共社会…

サイト『論点ひきこもり』: 「貴戸理恵氏インタビュー」

2005年11月初旬、貴戸理恵氏にお話をうかがいました。 本インタビューでは、ご著書『不登校は終わらない』(2004年11月公刊)の調査や東京シューレ、大学時代の研究、今後の方向性などについてお聞きしました。 ▼東京シューレとのいきさつについては、こちら…