2006-01-20から1日間の記事一覧

合理と非合理

「自分を合理的に変化させ得る」という思い込みは、反復強迫によって繰り返し挫折させられる。 「合理的追求」自身の病。 制度設計は、各人における「合理的追求の端緒との出会い」を提供すべき。 合理と非合理の関係を徹底して考えたのは、社会学・精神分析…

ひきこもり=《合理性へのアディクション》

合理性は実存的不安を鎮めるが、その追求自体が強迫観念化=空虚化。 禁止として機能する「非合理(根拠のなさ)」を前提に繰り込んだ合理性運営が必要になる。 【参照】 動物化(合理言語の喪失)は、合理性を強迫観念化する。 合理性への強迫は「無根拠」…

「言説吟味」と「問題吟味」を峻別せよ

非合理な言説は合理的に批判し、問題そのものを合理的に検討すべきだが、むしろもとの問題自身が合理性の強迫化によって起こっているから、「合理性の徹底」は部分的にしか処方箋にならない。 ▼合理を根拠にすることの非合理さ(無意味さ)に絶望している。

「社会的ひきこもり」に関連し、本田由紀・土井隆義・井出草平・id:seijotcp、の各氏発言とこちらなどを参照しつつ取ったメモ。