2005-05-01から1ヶ月間の記事一覧

リンク集(一部)

今回の案件に関連し、参考にさせていただいた記事のリンク集です(敬称略)。 見落としもあると思いますし、随時追加しようと思います。 ほぼ時系列順です。 【転覆要素としての当事者】(田中俊英) 【社会を変える“当事者”たち】(上野千鶴子) 【貴戸理恵…

メモ

「当事者の言葉」は、いわば《原典》として扱われる。しかし、そこにはすでにズレが生じている。体験情報の原典性と、本人の意識による解釈。後者については、批判される可能性があり得る。(「アカデミック・サークルに居るかいないか」は、アリバイとして…

承前

今回取り上げた諸問題については、今後も継続的に考えてゆきたいと思っています。*1 レポートの最後に、報告者である私の簡単な覚え書きと、リンク集を作ってみます。 *1:取材に協力くださった貴戸理恵さんと常野雄次郎さんに、感謝申し上げます。ありがとう…

レポート(3)に続く

解釈権の拮抗

今回の案件においては、解釈権に関する3つの権威が絡み合い、拮抗している。その3つとは、 《運動体》 《アカデミズム》 《当事者》 である。とりわけ今回は「不登校」、すなわち既存の教育制度からの離脱・脱落がテーマゆえに、その論争は「既存解釈が掬…

「前衛党」と「反革命」?

東京シューレによる貴戸批判は、「見解」に不登校当事者の手記が登場していることからも分かるとおり、「当事者益」を根拠としている。しかし奇妙なことに、貴戸理恵氏自身が不登校経験の当事者であるから、シューレは、「不登校当事者の一人を徹底的に追い…

既存解釈と、そこからの脱落

「力関係の差」については、当然ながら「アカデミズム」の強力な解釈権が問題となる。 運動体としての東京シューレは、不登校に否定的なアカデミズム(既存解釈権)と戦い、弱者たる不登校当事者を守ってきた。「フリースクールにすら救済されない体験や存在…

「弱者の声」と、抗議倫理

東京シューレ「見解」に掲載された「手記」を読む限り、彼ら2名は、事前に貴戸氏から出版原稿の全体を渡されながら、読まないままに出版にGOサインを出しており、「解釈」に取り組むことへの極端な脆弱性が見て取れる。またこの2名は現在、「シューレ大学…

「当事者」の主張責任

「見解」中の2名の手記は、「取材手続きへの抗議」ではなく、「貴戸氏の解釈への反論」なのだから、お互いに対等な《言葉》のレベルにある。ところがこの2名が「当事者」であることによって、その主張は《存在》、つまり≪反論してはならない絶対的声明≫と…

《存在》 と 《言葉》

再度確認したいのは、これは「ニーズの主体」と「主張の主体」を混同する問題ということ*1。シューレの振る舞いは、「《主張の主体》としての当事者の声を消すために、《ニーズの主体》としての当事者を持ち出す」という構図を持つ。あるいはこう言い換えて…

運動体のイデオロギーと、「当事者の声」

「当事者の語り」のみを取材対象とする貴戸氏においても、「見解」に「当事者の手記」を掲載する東京シューレにおいても、≪当事者の声≫は、不可侵の尊重対象とみなされている。▼『不登校は終わらない』は、貴戸氏自身の不登校経験の記憶を出発点としており、…

「ニーズの主体」と「主張の主体」

双方の主張のすれ違いは、≪ニーズの主体≫としての当事者と、≪主張の主体≫としての当事者の混同に基づく。 ▼東京シューレ(奥地圭子氏)は、不登校擁護の運動において「自分たちこそが当事者益を代弁している」という自負において語り、それゆえシューレに批…

承前

貴戸理恵氏と東京シューレのやり取りをめぐっては、≪当事者≫というポジションが独特の役割を果たしており、これがお互いの主張する倫理性の参照項になっている。この問題は非常に広く複雑な射程を持ち、慎重な論考を必要とするが、ひとまずここでは、今回の…

≪当事者≫について

『不登校は終わらない』の調査倫理については、「当事者が当事者を取材する」という、≪当事者学≫独特の事情も絡んでいる。 またシューレ「見解」が、「当事者の手記」掲載に独自の政治的意味を込めているのも明らかである*1。 今回の私のレポート作成にあた…

疑問

取材対象者の一人であり、東京シューレに所属経験のある常野雄次郎(id:toled)氏によれば、実は奥地圭子氏の著作自身が、手続きに疑問を抱えている。 なお、同じような危うさは東京シューレ主宰者の奥地圭子さんも抱えています。 彼女はこれまで、著書の中…

調査倫理について

貴戸氏の手続き上唯一疑問が残るのは、「初版出版前に奥地圭子氏に直接許可を取らなかった」ということだが、取材対象者の発言内容について、奥地圭子氏に検閲権限があるのだろうか。 貴戸氏は、第2版出版前には東京シューレから修正要求表を受け取っており…

要点

双方のネット上文書、貴戸氏への取材、それに『不登校は終わらない』の再読から、次のような事実が確認できる。 これは私がまとめ、事実関係のみを貴戸氏にチェックいただいた。 強調は、貴戸氏によるチェック後に私がおこなった。 貴戸理恵氏は、シューレ経…

事実確認

「何があったか」をわかりやすく検証するために、時系列箇条書きのフォーマットを貴戸理恵氏にメールでお送りし、ご自身に執筆していただいた*1。 以下、貴戸氏による校正済みの文章をそのまま転載する。 ただし、争点に関係する重要な事実確認については、…

前提

東京シューレの「見解」については、「調査・出版の≪手続き≫への抗議」と、「不登校の≪解釈≫への反論」とを混同すべきではない。 ≪解釈≫については、今後も議論を続けてゆけばよいのであり、出版物に介入する「修正要求」自体がおかしい*1。 貴戸氏に問題が…

おことわり

貴戸理恵氏の著作『不登校は終わらない―「選択」の物語から“当事者”の語りへ』について、「見解」を発表した*1東京シューレ、及びそれに対する「コメント」を公表した貴戸理恵氏の双方に対し、メールにて取材を申し込んだ。 東京シューレからは、貴戸氏に関…

 レポート 『不登校は終わらない』 (1)

【承前】

以上の転載について

これは、やり取りそのものを資料として公開し、取材を断わったことによる東京シューレの不利益をできるだけ回避するためのものです。(私の申し込みメールに不備や失礼がある可能性もありますので。) 貴戸理恵氏には取材申し込みを受諾いただき、電話とメー…

東京シューレからのお返事

From: "Tokyo Shure" Sent: Tuesday, May 10, 2005 1:20 AM Subject: Re: 取材のお願い 私が恣意的・部分的にお返事を引用するほうがまずいと思い、許可を得ないままいったんここにメール全文を転載したのですが(5月11日早朝)、やはり掲載許可について…

私からのメール

改行部分まで含め、すべて原文のままです。 To: Sent: Friday, May 06, 2005 5:17 AM Subject: 取材のお願い 東京シューレ様 突然のメールで失礼致します。 私は、『「ひきこもり」だった僕から』(講談社)という本の著者 であり、現在はブログ『Freezing P…

やり取り: こちらの件について

5月6日早朝、東京シューレに取材申し込みのメールを出し、9日お昼すぎ、確認のためシューレNPO事務局にお電話しました。 「担当者不在」とのことで(何も悪意は感じませんでした)、私の電話番号をお伝えしましたが、当日深夜にメールでお返事を頂きまし…

 レポート 『不登校は終わらない』 (0)

≪当事者批評≫

個人的に、「当事者」という言葉への違和感が強くなっている。というか、『「ひきこもり」だった僕から』などという著書のある私は、まさしくこの問題の当事者*1なのだが。 「当事者」という言葉は、ある社会的尊重のために必要だと思うが、それが菊の御紋の…

「当事者」

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20050504#1115208232 http://sociologbook.net/log/200505.html#eid81 【参照】 http://book.asahi.com/review/TKY200503120443.html 『ユリイカ』編集長・郡淳一郎氏の「それは社会学だから」という発言をめぐって、…

取材

「東京シューレ」と貴戸理恵氏に、メールで取材を申し込んだ。 貴戸氏とは電話でお話でき、シューレからはお返事待ちの状態。 追ってご報告します。

貴戸理恵氏「コメント」より

上記樋口明彦氏の見解と関連。 「都合により自分が当事者であるかどうかを使い分けている」(P.1 L.25)とのご指摘について、私は情報提供者の方がたに研究の主題を説明する上で、自分が不登校の当事者であることを語りました。同時に、拙著の中には「自分は…