《規範から技法へ》という大きなテーマ

私の取り組みは、入り口としては引きこもりや不登校の問題だったのですが

たどり着いたモチーフは、《規範から技法へ》ということになります。


不登校やひきこもりのほかに、差別や虐待の問題でもそうですが

「〜するべきではない」と語られがちなテーマは、
そのように規範的に語ろうとすること自体が、技法的に間違っている。*1


この、「規範的に語ろうとすること自体が技法的に間違っている」という問題設定が、いまだしっかり位置づけられていない。→これを何とかしないと。

  • 規範言説との関係で当事者性を論じると
    • 名詞形カテゴリ優勢の議論になる。スローガン(≒アリバイ作り)ばかりになり、技法的実態が問われない。「言ってることとやってることが違う」のオンパレード。
  • 技法的な試行錯誤として当事者性を論じるなら
    • 名詞形カテゴリは、技法のひとつに過ぎない。あくまで動詞的に動きに巻き込まれながら、動きの一部として、技法的な当事者性を検討するしかない。《検討する側》も、様式を伴った動詞なのだ。


技法論というのは、

頭でっかちな理論認識だけでも、たんなる経験信仰だけでもまずい。
――そう考えると、私たちは《技法》という言葉のまわりで、つねにカント的な、《超越論的》試行錯誤を重ねているのではないでしょうか。



*1:「〜するべきではない」と言っても、規範ではなく技法の話をしていることがあります。たとえば、「○○を操作するときに、肩に力を入れるべきではない」など。