「ヤクザを取材すること」そのものについての当事者的な報告

潜入ルポ ヤクザの修羅場 (文春新書)

潜入ルポ ヤクザの修羅場 (文春新書)



本のタイトルや帯はやや扇情的ですが、
中身はむしろ淡々として、突き放した筆致です。


歌舞伎町、飛田新地釜ヶ崎その他、生々しい実態が描かれていますが――私がとりわけ興味を寄せたのは、著者ご自身の葛藤・失敗についての記述です。つまりこの本は、単に対象についてのルポというより、「ヤクザについて書くこと」そのものについての貴重な現場報告に「も」なっています。


過剰にヤクザに肩入れしたり、逆に罵倒が前提になったりするのではなく、あるいはデータ一辺倒の「客観性」に終わるのでもない。15年にもわたって濃密な(しかし距離感のある)関係を生きながら、論じる自分を内省的に、また社会的に位置づけ直す――その手探りについても書いてある。著者の葛藤を理解することが、いつの間にか読者を自省や状況理解に導くところがあります。*1


ヤクザを論じるからこそ、

    • その対象と自分がどう付き合うのか
    • 論じる自分が相手に感化されすぎていないか
    • ネタとして利用するだけではないか、そのことを相手も知って計算ずくで接しているのではないか

といったことを論じるスタンスになるのかもしれませんが、
本来これは、どういう対象を論じるにも必要な検証努力ではないでしょうか。*2


私は、ヤクザを論じた書物の文脈に詳しくないので、この本を位置づけることはうまくできませんが、いわゆる実話誌的な記事に興味のないかたにも、この本はおススメです。



*1:「裏社会との関係をどうすれば良いのか」という、誰もがどこかで迷っている問題についても、ヒントがあると思います。

*2:ひきこもり論のあり方そのものを検証したり参照、研究者との関係性に怒ったり参照、「つながりの作法」のモチーフを出したりしていたのは参照、まさにこのあたりの努力です。