紛争をめぐる生成と技法――制度分析

集団の生きるパターンや条件を分析し、これをタイミングごとに組み替えようとする方法論*1には、

    • 雇用やサービスをめぐる民事的契約からの逸脱

という要因があります(最初の取り決めからも逸脱し得るので)。そうすると、そういう意味での制度分析をスタッフに要求することは、それ自体が訴訟リスクとの葛藤になる。


→「そのほうが患者さんのためになるし、自分も楽になれる」と焚き付けられ、しかしいざとなったら「このスタッフが勝手にやったこと」とされるなら*2、職員としては既定路線への官僚的遵守でいたほうが安全です。


そもそも精神科系の医療・福祉では、訴訟リスクを職員個人に負わせる傾向のあることが囁かれます(参照)。職員は薄給で雇われたうえに、自動的に訴訟リスクに巻き込まれ、個人で責任を負わされる。▼医療・福祉への従事そのものが訴訟リスクなわけですが、制度分析においては、そこに不法行為の危険が加わる。


分析の大義で逸脱的な勇気を要求されるのに、
揉め事が起きると「おまえは勝手に逸脱していた、だからお前の責任だ」
――これでは、社会運動に利用されたうえに使い捨てにされるだけです。


現状では、官僚的メンタリティに徹したほうが訴訟リスクが小さいうえに、高給取りになる*3。ならば、分析のインセンティブがありません。「それでも制度分析の趣旨に従え」というのでは、革命指向の左翼が末端党員を脅しているのと同じです。*4


とはいえ、私はやはり、制度分析的な逸脱を必要としています。
その身体的必然性は、紛争のさなかでどういう位置づけを持ち得るでしょうか。
私秘的な密室で、ルサンチマンにとぐろを巻くしかないか。



技法としての制度論は、自分の紛争に取り組めるか?

今のところ制度論は、状況そのものを切り開いてゆくダイナミズムには成りきれていません。*5


先ほど書いたように、制度分析をともなう実務は、無償奉仕での分析労働を要求するのですが(参照)、たとえばそれを要求する医師が、自分の利権にだけは触らせないとしたら。――「制度分析」は、地位の高い者が無償で愚痴を聞いてもらう口実に終わりそうです。*6


生活圏に内在的に生じる分析は、「制度分析」を標榜する関係者間にすら対立を生じさせるのですが、今のところ、この敵対性は話題にできていないのです。

この状況は、《世界平和を標榜しながら、党派闘争をやめられない》という左派のダブスタに重なります。自分たちじしんは紛争への技法的対応をできていないのに、周囲には「分析」を要求し、紛争をやめろという…


紛争生成としての制度分析が、紛争処理の官僚的アルゴリズムとしての法言語に頼らないなら*7、制度分析は、自前の紛争技法を身に帯びなければなりません(語彙やロジックも自前で開発する必要があります)。*8
ここであらためて、《紛争の自治という未解決のモチーフが現れます。昨今の左派言説が、任侠系の組織暴力と結託する(それを誇示する)のは、技法の現状に基づいた必然です。

      • 【2014年12月18日深夜の追記】: 今の私が、制度論関係者との間で、すぐに裁判を必要とするような紛争状態にあるわけではありません。むしろ制度論は私にとって、既存左派とのトラブルを言葉にするために、重要な意義を持ちました。あるいは今回エントリしたような問題意識を形にすることも、私にとっては制度論的な分析の一環であると言えます。▼概念としての《制度》は、それを標榜していれば何でも許されるといったような、あるいは、つねにそこで共有関係が成り立つような、そういう概念ではないはずです。


*1:フランスのラボルド病院が標榜する「制度論的な精神療法(psychothérapie institutionnelle)」や、それとの関連にある「制度論的な教育学(pédagogie institutionnelle)」など

*2:いわゆる「ハシゴ外し」

*3:すでに制度順応している人たちに関しては、ですが。――排除された側には制度分析の動機づけがあっても、既得権側にインセンティブがないなら、どうにもなりません。

*4:ジャン・ウリは制度分析について、「ただ働き」というのですが(参照)、逸脱的な訴訟リスクに巻き込むなら、むしろそのリスクまで織り込んだ高給が当然に思えます。

*5:あれこれの分析が依存的な親密圏を出るには、紛争そのものに動じないキモの太さが必須です(これは知的というより身体的な課題)。怯える人は、饒舌に語るすべてが防衛機制になっています。

*6:制度分析の結果、医師は資格に守られて高給取りのままですが、患者は「カテゴリ化された肩書き」を失うと、社会保障の対象から外れる。そうすると、医師は自分の利権は守ったままで、相手にだけは利権を手放せと言っていることになります。

*7:制度を使うという制度論の趣旨には司法の活用も含まれるはずですが、紛争に直面して法律用語の駆使以外のことができないなら、わざわざ別建てで「制度分析」を言う必要もなくなります。たんに法律を勉強すればよいだけになる。

*8:難解なジャーゴンで語るだけでは、広い支持を得られないため、紛争対応としては失敗します。