- 作者: フェリックスガタリ,フランソワトスケル,菅原道哉,ジャンウリ,高江洲義英,ダニエルルロ,市川信也,F´elix Guattari,Danielle Roulot,Fran〓@7AB7@cois Tosquelles,Jean Oury,杉村昌昭,村沢真保呂,三脇康生
- 出版社/メーカー: 松籟社
- 発売日: 2000/04
- メディア: 単行本
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トスケイエスはドーメゾンの求めに応じ、1961年のパリ13区の巡回診療所で開かれた集会で、サンタルバンで実践している集団内の記号学(séméiologie)について重要な発表をしている。
この中でトスケイエスは、治療グループで起きる出来事を、
- (1)患者自身にとって意味のあること
- (2)医者にとって意味のあること
- (3)同じ集団の、あるいは同じ病院にいる他の人びとにとって意味のあること
に分けている。
そして、この第三番目の出来事を考察するために、厳密な記号学を用いることの重要性を指摘している。これにより、
- 医療的に、精神病理学的に、意味のある出来事であるのかないのかを決定する理論を持つ前に、まず出来事に向きあい、解釈することになる。
- さらに、一番目、二番目、三番目の出来事を比較することで、スタッフだろうと患者だろうと、どのようにして集団に統合されているのかを考えることができるようになる。
さらに集団を開かれたものにし、健全なものに保つためには、「治療者側が用いる記号学の種類をかえること」をトスケイエスは進言している。しかしそれは記号学を「がらくた箱にしてしまうこと」ではない。そうではなく、
- 記号学の種類を変えることで、異なった種類の出来事を解釈することができるかもしれない
ということである。
つまり、トスケイエスの制度=ソフト分析は、サンタルバン病院での記号学として発明されたと言えるだろう。(pp.147-148)
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- 《決定する理論を持つ前に、まず出来事に向きあい、解釈する》――出来合いの解釈フレームに当てはめて終わりではなく、分析をやり直す。「メタモデル化」が生じるとすればここ。
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- ★《どのようにして集団に統合されているのか》――全員にとって課題となる(つまり当事者性のある)分析テーマ。
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《記号学 sémiologie》となっていて、《記号論 sémiotique》ではないことに こだわる意味は、ここでは感じられない。→しかし、トスケイエスの文脈については要研究。- 【6月7日の追記: 『現代思想 - imago 東日本大震災と〈こころ〉のゆくえ』の訂正によると、sémiologie でも sémiotique でもなく、séméiologie(症候学)*2らしい。▼『精神の管理社会をどう超えるか?―制度論的精神療法の現場から』掲載「精神医療の再政治化」では、「セミオロジー」と片仮名でルビが振られていた(p.147)。】