フランソワ・トスケイエスと記号学(メモ)

精神の管理社会をどう超えるか?―制度論的精神療法の現場から

精神の管理社会をどう超えるか?―制度論的精神療法の現場から

以下の引用は、三脇康生「精神医療の再政治化のために」より。*1


 トスケイエスドーメゾンの求めに応じ、1961年のパリ13区の巡回診療所で開かれた集会で、サンタルバンで実践している集団内の記号学(séméiologie)について重要な発表をしている。


 この中でトスケイエスは、治療グループで起きる出来事を、

  • (1)患者自身にとって意味のあること
  • (2)医者にとって意味のあること
  • (3)同じ集団の、あるいは同じ病院にいる他の人びとにとって意味のあること

に分けている。


 そして、この第三番目の出来事を考察するために、厳密な記号学を用いることの重要性を指摘している。これにより、

    • 医療的に、精神病理学的に、意味のある出来事であるのかないのかを決定する理論を持つ前に、まず出来事に向きあい、解釈することになる。
    • さらに、一番目、二番目、三番目の出来事を比較することで、スタッフだろうと患者だろうと、どのようにして集団に統合されているのかを考えることができるようになる。



 さらに集団を開かれたものにし、健全なものに保つためには、「治療者側が用いる記号学の種類をかえること」をトスケイエスは進言している。しかしそれは記号学を「がらくた箱にしてしまうこと」ではない。そうではなく、

  • 記号学の種類を変えることで、異なった種類の出来事を解釈することができるかもしれない

ということである。


 つまり、トスケイエスの制度=ソフト分析は、サンタルバン病院での記号学として発明されたと言えるだろう。(pp.147-148)


    • 《決定する理論を持つ前に、まず出来事に向きあい、解釈する》――出来合いの解釈フレームに当てはめて終わりではなく、分析をやり直す。「メタモデル化」が生じるとすればここ。
    • 《どのようにして集団に統合されているのか》――全員にとって課題となる(つまり当事者性のある)分析テーマ。



【つづき→「逸脱運動の素材的必然と、それを抑え込む記号の慣性」】


*1:改行や色変え・太字などの強調は引用者による。また、原文では Tosquelles が「トスケル」と表記されているが、スペイン語の原音やラボルド関係者の用いる発音に近い「トスケイエス」に改めた。

*2:こちらの定義だと、séméiologie は「病気と健康の指標となる徴候(諸記号 signes)を扱う医学の一環」。