名詞形のウソ

リンク先の『Hate Radio』(SPAC)より:

 DJは「ツチ族」との友好を否定し、「フツ族」の団結を歌った、シモン・ビキンディの『こんなフツ族は嫌だ』を流し、女性パーソナリティのヴァレリーが「ツチ女性」へのレイプを示唆した後は、ニルヴァーナの『Rape me』を流す。ベルギー人ジョルジュの伝える国際ニュースにはウィットと悪意のある“民族ジョーク”が混じり、カンタノは11歳のリスナーとの電話のやり取りで隣人を狩ることを鼓舞する。

 ※現在のルワンダ政府は、「ツチ族」「フツ族」という民族の区分は植民地支配の産物であるとしている。



軽妙なジョークにおける概念操作も、私たちの感情に影響している。




武内進一ルワンダの紛争とエスニシティ−創られた民族?

「観念の実体化」という節より:

 「人種」に対応した統治制度を確立するためには、個々の被統治民の帰属を決定しなければならない。ベルギーは制度面の整備と並行して、ルワンダ住民がどの「人種」に帰属するのかを確認し、身分証明書に記載する手続きを進めていった。1930年代のことである。しかし、この作業は容易ではなかった。自分が何に属するのか曖昧な認識しか持たない者も少なからずいたからである。トゥチやフトゥというカテゴリーが、今世紀始めには日常的にそれほど重要な意味を持たなかったことを考えれば、これは当然である。したがって、各人の帰属はときとして恣意的な方法によって定められた。例えば、10頭以上の牛を持つ家族の成員はトゥチ、それ以下しか持たなければフトゥなどと振り分けられたのである。
 分別の方法がいかに恣意的であれ、いったん定められた「人種」の帰属はその後大きな意味を持つようになった。行政ポストへの任命や教育機会など、社会生活のさまざまな場で、それに応じた差別がなされたからである。また、サブチーフに任命されたトゥチは政治権力を利用して経済的な利益も確保できるため、政治的な差別は経済的な格差に結びついていった。国家機構のなかで組織的に遂行された、「人種」のラベルに沿った区別と差別を通じて、それらのアイデンティティが重要なものとして認識され、実体化していったといえるだろう。(pp.29〜30)



名詞形で人間を区分する概念操作の強力さ。

現状の私たちは、あまりにも名詞形に支配されている。