千坂恭二氏のツイートに、「神武革命論」とあった(参照)。
そこで問われているのが、社会における《形式的禁止》であるように思われ、さかのぼって昨年9月からの氏のツイート(おそらく2500個あまり)を通読した。以下に引用するのは、その一部。
@Chisaka_Kyoji: 左翼は、反天皇的でなければならないというのは幻想であり、スターリニズムの影響の残滓だ。神武帝として出現した原初の天皇は革命家であり、後続する制度としての皇室は、その制度性から革命の他者だったと捉えるべきだ。原初の天皇の革命性に対して、その時々の現天皇は非革命的たらざるをえない。
2013-10-25 13:31:12 via web
@Chisaka_Kyoji: @Chisaka_Kyoji よって、常に現天皇への忠誠を本分とする右翼は、その維新革命においては、二・二六のように、非革命的な現天皇により否定されることとなる。右翼は、その時々の「今上天皇」への忠誠を本分とする限り、二・二六以降の現実には到達出来ないことを知る必要がある。
2013-10-25 13:43:54 via web to @Chisaka_Kyoji
@Chisaka_Kyoji: @Chisaka_Kyoji 北一輝が構想したような現天皇を奉じる革命は幻想である。北の限界は、天皇大権の発動というが、誰が発動するのか。天皇大権の発動はほかならぬ現天皇自身ということにおいて、北の日本改造法案は、最初から絵に描いた飴だったといえる。
2013-10-25 13:57:39 via web to @Chisaka_Kyoji
@Chisaka_Kyoji: なぜ、原初の神武帝は革命なのに、その後の天皇は非革命なのか。それは、その後の天皇の役割が、原初の革命の継続にあるからだ。この継続が皇統であり、革命を継続するため、現実には非革命的となるのであり、反革命は、この現天皇の非革命性を革命弾圧に利用するのだ。
2013-10-25 14:04:11 via web
私が必要とした《形式的禁止》は、象徴天皇制と関係がある
集団や個人は、つねに正当化の熱狂に陥る。つまり、
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- 自分の正当化を「100%正しい」と思い込んだり、
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- 「さらにもっと、決定的で真実の正当化があるはず」と思い込んで、際限なく《さらに真実の、さらに必然的な》正当化を求め、収拾がつかなくなる。
これは、正当化の努力それ自体における依存症といえる。*1
完全な正当化はいかなる瞬間にも不可能である以上、
必要なのは、「本当に真実の、必然的な正当化」をもういちど考えたり、それを僭称したりすることではなくて――いまの正当化が限界つきであることを前提に、マネジメントを続けることだ。
嚆矢としては、ジジェクが1992年に指摘している:
王の役割についてのヘーゲルの問題構成をいま解釈しなおしているところなのですが、その発想というのは、民主主義の保障として必要なのは、空虚な点であって、権力をもたず、純粋な象徴的権威であるような君主であるというものです。おそらくこれは日本において機能しているものでしょう。(ジジェクの発言より、『批評空間 (第1期第6号) 共同インタヴュースターリンからラカンへ』p.25、強調は引用者)*2
これを読んだときは、
「ジジェクは天皇制を肯定するのか」と驚いたのだったが。
私がたどりついた《形式的禁止》は、ジジェクのイデオロギー論をきっかけにしていた。正当化が陥る、集団的な虚偽の熱狂。そこで、「ほんとうの正当化」を探すと、その探求作業そのものが固着してしまう――個人の依存症と、集団における正当化(陶酔に満ちた享楽)は、通底する。そして、個人が自分を「どうやって正当化するか」は、集団の正当化のありようと、無縁ではありえない。
これまでは、そのたびごとの今上天皇を無時間的に考えることしかできていなかったのだが、千坂氏の神武革命論は、新しいヒントをもたらした。
@Chisaka_Kyoji: 久しぶりに『日本書紀』の神武帝の東征の箇所を読む。これは、どう読んでも、大和からすれば神武は保守ではなく、そこの選良でもない。神武は大和の外部者であり、大和の侵攻者で、まさに東「征」に相応しい。吉本はこれを大和の民衆の始原の敗北と見たが、私は、大和の保守に対する神武革命と見る。
2014-01-29 10:08:45 via web
@Chisaka_Kyoji: 大和の王はニギハヤヒであり、神武革命はニギハヤヒの大和支配の打倒によりなされる。そのニギハヤヒの配下のナガスネヒコ(長髄彦)は、頑強に神武に抗戦するが、神武に投降しようとするニギハヤヒに殺される。神武が革命派で、ニギハヤヒが保守派なら、ナガスネヒコにはニヒリストの横顔がある。
2014-01-29 10:38:02 via web to @Chisaka_Kyoji
今上天皇の《言葉=大御心(おおみごころ、陛下のお考え)》は、それ自体としては無視される。今上天皇への忠誠でしかない「天皇陛下万歳」は、禁止される(参照)。そのつどの陛下はあくまで《存在》として、神武天皇の機能を継承・体現する。
初代・神武天皇は、既存体制(大和)に対しては革命であり、しかも天孫降臨神話において、コミュニティ内部からは「素性不明」と位置づけられる(参照)。ここには、制度内部的に合理化の不能な、徹底的な外部性がある。これのみが、いっさいを私物化するグローバリゼーションに対し、外部性として屹立する(参照)―― 千坂氏は大意、このように説く。
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- 神武天皇の存在が、歴史的事実よりも神話的「位置づけ」で重視される
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- その機能は、意味づけ不能の外部性にある
――これは私が、《形式的禁止》に求めたことに重なる。
現時点で感じる疑問は二つ。
- 神武天皇は、《意味づけ不能》それ自体の措定として、革命であり、維新である。しかし、その神武への「忠誠を誓え」だけでは、既存社会への外部性は保てても、自己検証が生じにくい。
- これは私なりに言えば、形式的禁止と動詞的《当事化》の関係の難しさにあたる。形式的禁止は、分析的な当事化を保証しない。
*1:(1)「これでいい」という思い込みと、(2)「これではダメだ」の探求努力の固着――この二つの場合に分かれる。
*2:「共同インタビュー スラヴォイ・ジジェク氏に聞く:スターリンからラカンヘ」(聞き手:柄谷行人・岩井克人・浅田彰、田崎英明・訳)
*3:第二次大戦の敗戦とアメリカ(という外部)がなければ、象徴天皇制と呼ばれるあり方は(少なくともあのタイミングでは)なかっただろう。▼私は、「日本に内発的革命はない」と言った三島由紀夫を思い出していた。cf.『三島由紀夫 最後の言葉 [新潮CD] (新潮CD 講演)』
*4:→《神武創業による建国は、民族国家ではなく、民族の外の国家(神武帝は、外部からの来訪者の子孫ですから)であり、世界国家です。その生起の場が地理的に日本だったにすぎないと考える必要があると思います。》(2013-12-18)