分析事業そのものが、場所の一部分であること

菅原道哉氏(精神科医)の発言より:*1

 人と人の関係性は要素に分解すれば各個人が一つの球のように存在しています。しかし境界の固定した球ではありません。〔…〕 さらにはそれぞれの球が動いている場があります。しかもこの場も平面であり続けることはありません。各要素が関係し合いながら、それらが位置している場をも変化させていきます。関係要素が多すぎるだけでなく立地条件としての場も変化するので関係している個人は自分を客観的に捉えることができません。

 医療者の場合は論理が行き詰まると安易に「患者さんのためにおこなう、患者さんのためにならない」という文言を使いたがります。患者さんをすべての概念の最高位に持ってきて それ以上の論理の進行を否定してしまいます。この場合は患者さんを前面に押し出し自分の不安、まとまり無さにけりをつけてしまうという安易な“思い”という他はありません。〔…〕 「患者さんの為に」という言葉には明らかに己に問うべき問題をすべて棚上げし、考えることを拒否する短絡化が認められます。



知的事業が現場の時空間に組み込まれており、場所や要素のあり方と切り離れていないことに注意。分析は、雰囲気や、その場に機能するロジックとの絡まりあいの中にある。間違った《論》は、《場》そのものを破壊する。



*1:菅原道哉(すがわら・みちや)氏は、『医療環境を変える―「制度を使った精神療法」の実践と思想』の共著者のお一人で、『精神の管理社会をどう超えるか?―制度論的精神療法の現場から』では、インタビューを受けておられます(参照)。