グァタリの語用

フェリックス・グァタリ(Félix Guattari)の著作中から、
動詞détacherとその名詞形を検索し、前後の文章を抜き書きしてみました。

他の著作についても作業を続けているので、このエントリはまだ続きます。
後日、ひとまず完成→ 3】 【4】 【5】 【6】 【7】 【8】 【9】 【10】 【11】 【12】 【13


エントリ剥離による蘇生を考えるうち、この作業を思いついたのですが、
それは結果的に、グァタリが引用文中で論じている

 断片が実存の一貫性をもたらす

という事態そのものを、もたらしてくれました。


誰かの文章を「全体として」引き受ける解読はウンザリですが
――作業の大変さ以前に、方針として間違っている――
自分なりに興味の必然性のあるキーワードを見つけて、
その単語が相手の中でどう使われているかを検証してみる作業は、
分析の自由と、不当ではない勤勉さをもたらしてくれました。


しばらくやっていると、ひきこもり状態に特徴的であるような、ずっと同じ《a》に固着する意識が、貧しく思えてきます。断片から一貫性を立ち上げる勤勉さは、意識をほぐしてくれるので、かえって自由になるのです。


「断片立ち上げ法」とでもしておきたいこの作業法は、臨床にも重大なヒントを提供していると思います*1。 また、この作業を単語 《détacher(剥離する、切り離す) で始めたのは、自己言及的だったとも言えるでしょう(だからこそ読み進めていて、この作業への理解が生じることにもなりました)。



【抜き書きやその訳を読むときの注意】

    • いまだ完全な網羅ではないし、追加や修正も行うつもりです。
    • 赤字・太字などによる強調は、ブログ主が勝手につけています。
    • 引用部分の欄外にあるつぶやきや、ブログ注(*印)は、ブログ主によるものです。
    • 訳文は、あくまで既存邦訳を参照しながら、できるだけ訳し直す努力をしました。といっても、ブログ主の理解を確認し、勉強を進めるためであって、必ずしも批判的な趣旨ではありません。*2

読んでみる


*1:文献研究や箱庭療法をされている方には当たり前の作業かもしれないのですが、臨床と思想の関連を捉え直す意義はあると思います。焦点は動詞のスタイルであり、作業過程であって、「たんなる相対主義」ではありません。

*2:グァタリのフランス語は、ひどい悪文としか思えませんが(哲学を専攻したフランス人が読んでもよく分からんらしい)、彼のようなテーマを論じる人は、他にいるんでしょうか。もちろん近傍では、ジャン・ウリがいるのですが。