論じている自分の作業過程に照準できるか (3)

承前

お返事を頂いた形ですが、
私としては、自分の問題提起や説明が、完全に遺棄されたことを確認しています。
それを指摘しても、酒井さんには意味がないでしょう。
となると、私にとっても、これ以上説明する意義がありません。


以下は、現時点の私の理解です。


「主体化の意味が分からない」とおっしゃるのですが、(2)のエントリで、最低限の説明は与えました*1。 そもそも発達障碍は、意識が硬直している話であり、私は以前から、ずっとその話をしています。――要するに酒井さんは、発達障碍という語の運用に介入したのに、発達障碍そのものについては、考えるおつもりがまったくない。


これでは酒井さんは、ずっとご自身の前提に閉じこもったまま、
いくらでも言葉ヅラの介入ができるでしょう。
しかし私からすると、何かの信仰者と話しているような状態です。


私は、酒井さんが「臨床」という単語を採用しているかどうかなど、
まったく問うていません。そんなことは、何の関係もありません。


現に人に接しており、言葉づかいに介入しているのですから、
「何をやってしまっているか」、そこで理解をやり直してほしい。*2
意識的なディシプリンや、明示的な言い訳は、アリバイになりません。


自己定義がどうあれ、やっている のですから、そこで生じる影響について、
責任はあるでしょう、やり直してもらえませんか――そう申し上げただけです。


ここには、分析をめぐる立場の相違が、剥き出しで現れているように思います。*3
私としては、批判的な申し上げ方をせざるを得ないのですが、酒井さんに意図的な悪意があるとは感じていません。むしろ酒井さんとしては、ご自身にとって当たり前の知的誠意に従ったまでであり、私の論の展開にこそ、不誠実を感じられたのでしょう。


私は、なんであれ「意識的な自己定義」に、激しく怒っています。*4
そしてこれは、社会参加を組み立て直そうとする呼びかけです。
私は、たんに「ひきこもり」を考えているのではありません。
生産/再生産される、意識や関係性のスタイルそのものを問うています。*5


病気や障碍がないはずなのに、意識が硬直する。こういうケースでは、既存の救済スキームでは対応できません。意識や関係性を技法ごとやり直さないと、どうにもならない。ところが酒井さんの議論は、そういう問い直しを認めません。(「そんなことは言っていない」と言われるのでしょう。この平行線です。)


意識や論理のアリバイに居直るなら、それとは別の回路で生じるトラブルや、むしろ意識するが「ゆえに」生じるトラブルについては、ずれた解釈を採用するしかありません。こうなると、事柄に即して考えようとするアプローチは、社会的に遺棄されます。


――と、こういう説明をここでやり直しても、たぶん「わけがわからない」でしょう。
そこに悪意がないことが、逆に言葉を失わせます。



以上です。

お忙しいところ、お時間を取っていただき、ありがとうございました。



*1:→「また発達障碍では、意識が形を取ろうとするプロセスそのものが問われています。まさに《主体化》という言葉で扱われる事態が、そこでの不調が、俎上にある。」

*2:私が焦点にしたい「創発」は、ここに生じるものです。

*3:ブログや tweet を拝見するに、酒井さんはフロイト的な精神分析を、いっさいお認めにならないようですね。――私の必要とする、そして現に試みている分析は、「意識のアリバイ」とは別のことを分節するとはいえ、精神分析とも違っているはずです。

*4:差別の専門家(その多くは社会学者を名乗っています)が差別をやめられないのは、意識の言い訳でしか考えていないからです。

*5:ひきこもる人は、抑圧的で無責任だと言えます。では元気に働く人は、現在のスタイルを検証されないのでしょうか。――どちらか片方を悪者にするだけでは、問題構造を反復して終わります。集団的失調で問われているのは、再生産される意識や社会化のスタイルそのものです。