この本には、異常な地方が描かれているのではない。

むしろ、私たちの日常が曝露されている。

あのとき、大川小学校で何が起きたのか

あのとき、大川小学校で何が起きたのか




行きなれた目の前の山に逃げれば、*1
亡くなった子どもたち74人が全員助かっていたのに、
地震発生から50分間も校庭に待機させた。
「山に逃げよう」と声をあげた子どもたちもいたのに、
わざわざ連れ戻してまで校庭にいさせた。
その事実を市長や教育関係者が徹底的に揉み消し、
時間のつじつまをごまかし、聞き取りのメモを捨て、
「頑張って逃げようとしていたが、間に合わなかった」 ことにした。



制度の前提がおかしい

 「学校管理下で死亡事故が起きた場合の対応として、報告しなければならないという法律の根拠がないのです」文部科学省の「スポーツ・青少年局〈学校教育健康課〉」課長補佐、本書 p.146 より)



実際にあったことは徹底的に検証すべきだし、それに応じた責任追及が必要だと思う。
と同時に、考えなければいけないのは、

    • 「人は失敗するし、失敗しても、責任を取ろうとはしない」

ということ。 制度は、「理想的人間像」を前提にはできない。*2
むかつくエピソードを読みながら、ずっとそれを考えていた。



登場人物は、「極端な人たち」ではない

加藤順子(かとう・よりこ)氏の記すエピローグから(強調は引用者)

 何とかしたく思っていても、組織の理屈がなんとなく優先されてしまうために、自分のできる狭い範囲だけで片づけようとする。役割を根底から考え直し、変えていかなければならないときにすら、いままでの状態を維持しようとしてしまう。そんな普段の感覚を、これだけの規模の事故の対応においても変えられなかったことが、なんとも気持ちが悪い。
 でもそれは、どんな人の中にもある感覚かもしれない。
 私自身は、市教委の対応を批判的に語るたびに、ニーチェの「汝が深淵を除きこむとき、深淵もまた汝を覗き返している」*3という言葉が気になって仕方がなかった。 〔・・・・〕
 大川小の問題は決して人ごとではなく、自分の内面や、自分が生きる世の中の構造が置き去りにしてきた問題の部分を、同時に覗き込むような作業でもある気がする。 (本書 p.314)



この加藤氏のコメントには、内省的な問題意識がある。


本書に登場する「おっさんたち」は、そのへんに居るようなタイプばかりだ。


これは、

 《責任を果たすとは、ルーチンをこなすことだ》 と考える大人たちが、
 レールを踏み外すことを極端に怖がり、子どもを何十人も死なせてしまった上に、
 「自分たちのやり方に問題があった」という事実すら、認めようとしない

―― そういう事件ではないのだろうか。



日常と非日常

1995年の阪神・淡路大震災では、次のような証言があちこちで聞かれた。

 日ごろ何もしないで、ひきこもっていたような人たちが、活き活きと炊き出しや人助けを行い、
 逆に勤め人だったお父さんたちは、避難所でぐったりしていた

《日常》 を生きていた常識人がつぶれてしまい、
「非常識な」人たちが、当たり前に動いていた。


本書では逆に、

 非日常の状況下で、日常的な配慮が人を殺した

ように見える。*4



あなたの日常は?

難しい思想の研究者は、どうしてこういう 《ふつうの問題》 を、扱ってくださらないのだろう。
その知的風土じたいが、《問題》 の一部じゃないか。


私たちが「しょうがない」と言って過ごす日常と、
海の向こうのバカげた行為は、そんなに違うか?


私たちは、この本に描かれたような環境に、その加担者として生きている。
問われているのは、《順応すること》、それ自体だ。
この本は、就労や人のつながりをめぐる支援事業の、一環といえる。*5



関連動画

動画サイト『YouTube』に、2011年5月31日に投稿されたニュース番組。

子どもたちが目指したという橋の高台が津波に飲まれる場面には、地震発生から56分が経過した、午後3時42分」というナレーションがある。大川小の校舎の時計は3時37分で止まっているから、校舎を飲み込んで5分後の映像だ【エントリ当日、訂正の追記】 「5分後」などと素朴に計算してしまったのですが、GoogleMap で位置関係を確認すると*6津波の速さから言って、とても5分もかかるような距離ではないですね。おそらく、撮影者のビデオ機材の時計が進んでいたのでしょう。


動画の11分ごろからは、本書にも登場する只野英昭氏
(大川小に通う娘を含め、家族3人を亡くした) が、次のようにコメント:

 大丈夫だよなあ、と。時間もけっこうあったもんだから。まさかこれだけの地震で、津波こないと思わないだろうから、とっくに避難してるもんだと思ってたんです。で聞いたら、ぜんぜん避難してなくて、「のまれた」って話だから。「何してたんだそれまで学校で」って。 〔・・・〕 あれだけの地震だったんですから、まぁ・・・・すぐ裏に山あるんだから、山に登ってほしかったですね。

この疑念は、今回取り上げた本の趣旨と重なっている。






3分5秒〜 「けっきょく、裏山は、木が倒れていたことなどから、高台に向かうことになった」・・・・このナレーションの依拠した証言が嘘であったことが、本書で明らかにされている*7。 【追記】: つまり、2011年5月31日にUPされたこの動画では、「山には倒木があった、だから山には向かわなかった」という話になっているのですが、今回取り上げた書籍が明かしているその後の聞き取り調査では、「山には倒木なんか、一本もなかった」ことが明らかになっています。







元になった連載:「大津波の惨事「大川小学校」〜揺らぐ“真実”(ダイヤモンドONLINE)

書籍には、詳細な証言記録、それに基づく当日の再現、情報・考察のディテール等が追加されている。
大まかなまとめ記事としては、第15回(2012年10月30日)の
明らかになった真実、隠され続ける真相とは

 何事もない日々であればさほど問題ではありませんが、今回のような事態では大問題です。あの日、「責任とれるのか」といういつもの判断基準が、(教諭たちの間で)どうしても頭から離れなかったのです。あの日の判断の遅れには、2年間で蔓延した極端な「事なかれ主義」が大きく影響しています。 〔・・・・〕
 誰が主導権を握るか、というパワーバランスも無関係ではなかったと思われます。子どもの「山へ逃げよう」という声を取り上げなかったことでも分かります。 【2012年10月28日、7回目の保護者説明会で遺族側】

 文科省の試案では、<事故当日とそれ以前の状況・対応について> は検証の範囲とするが、事後対応については、検証に含めないとしている。




【参照】 amazon以外で、ネット購入できるところ




【11月6日17時頃の追記】「事なかれ主義」で判断遅れ=大川小遺族が検証時事ドットコム

 資料は、地震発生から津波到達までの出来事を時系列で示し、同小だけが避難の遅れで甚大な被害が出た原因を考察した。学校側は津波の危険を把握していたのに「何かあったら責任問題になる」との考えに縛られ、防災マニュアルにない裏山への避難に踏み切れなかったと分析。「判断の遅れには、極端な『事なかれ主義』が影響した」と指弾した。 (2012/10/28-20:24)

    • 今回取り上げた本に出てくるのですが、裏山は子どもたちにとって、シイタケの栽培もしている慣れた場所で、むしろ教員が山に向かわなかったことに、異様なバイアスを感じるのです。
    • そしてにもかかわらず、私も同じことをやってしまうかもしれません。記事タイトルにも示したとおり、今回の判断ミスは、「誰にでも起き得るのではないか」という怖さがあります。(どんなに周到に準備しても、盲点は残ります。それをイザというとき、どう処理するか。これはどんなに頑張っても、残る問いです。)
    • 責任をめぐる環境が、社会的に設計されていないかも知れない。だからこそ、いちど失敗すれば、取り返しがつかない。だからこそ、すべて隠蔽されてゆく―― そういう要因が、ないかどうか。




*1:【2013年1月3日の追記】 山は子どもたちにとって、「いつもの場所」でした。 山に逃げることがむしろ自然な選択だったことを示すよう、修正しました。

*2:これほど極端な事例がろくに検証されないなら、日常的な問題提起など、揉み消されるに決まっている。

*3:《怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ》(参照

*4:親御さんたちが言うとおり、「先生がいないほうが、助かった」。

*5:本書を執筆されたお二人とは、昨年11月、ひきこもり関連のイベントでご一緒している(参照)。

*6:
大きな地図で見る 右側に大川小、左側に橋の高台。

*7:【念のため、追記】 「この証言が嘘であった」というのは、下のほうの動画の、ナレーション引用部分(赤字)に対してであって、只野氏のコメントに対してではありません。