「親族に扶養能力があるなら、生活保護を受けさせるな」と言う人と、
「ひきこもる奴は家から追い出せ」と言う人は、同じだったりするんだろうか。*1
神経症圏の閉じこもりで決定的なのは、
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- (1)本人の努力の、量ではなくてスタイル。やればやるほどおかしくなる。
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- (2)仕事まわりの人間関係。 「仲間なんてあり得ない」状況。*2
そうしたテーマ設定を拒絶したうえで「保護も支援もするな」では、野宿しかない。
ところが野宿も、社会的に許されていない。*3
サバイバルに必要な環境を整えることに絶対に協力しないことを表明したうえで、「さあ、生き延びてみろ」というのは、もはや合理性とは別の動機づけを持っている。 「税金を払える人の数を増やそう」ですらない。
ひきこもりは、社会保障機能を親が肩代わりしている状態。
その親も、高齢化で扶養能力がなくなりつつある。
「若いし、病気でも障害でもないはずなのに、働く能力がない」という人が、
これから数十万人、社会にあふれ出てくる。
政策のせいだけにはできないが、「本人のせい」だけで対処できるような事情にもない。
いま、死因不明の異状死が急速に増えている(参照)。
「積極的な改善策には手を貸さず、責任だけは家族に負わせる」という環境は、すでに破綻しつつある。