臨床上の立場と時間

精神分析で使われる概念枠と、それと似た言葉で各論者がやることの絡まり合いがややこしい。*1

ひとまず精神分析では、

    • 神経症 《抑圧》 独:Verdrängung  仏:le refoulement  英:repression
    • 【精神病】 《排除》 独:Verwerfung  仏:la forclusion  英:foreclosure (repudiation)
    • 【倒錯】 《否認》 独:Verleugnung  仏:le désaveu (le déni)  英:disavowal



精神病を 《排除 forclusion》 で論じるという設定は、フロイトの Verwerfung の仏訳として、ラカンがやったことですよね。

ラカンからすれば、ドゥルーズガタリは言い訳しようのない逃避であり、欲望の倫理への裏切りということで*2、それはラカンでいえば《抑圧》の文脈にあるということか。

いっぽう D&G にとってラカンは、欲望する生産をできあいの解読格子(精神分析諸概念)に監禁するという意味で、許し難い抑圧をやっている・・・・となりますが、そこで使われる「欲望」も「抑圧」も、すでに精神分析で込められる意味ではない。
しかしそうなると、逆に D&G はどういう概念枠で精神病を語るんだろう。 ジジェクは「狂気を称賛してどうすんだ」と dis ってるわけですが(参照)、哲学者としての概念創造と、臨床事業との関係が見えにくい。これは、技法彫琢をするうえでの選択の問題になります。

論者ごとの概念の性質を、時間を焦点に整理できないかどうか

  • ラカンは《真理》を問題にするが、D&G は《生産》を語る。

ラカンは晩年、「トポロジーと時間」というセミネールを設定したものの、黒板の前で溜め息と沈黙を続けたらしい。彼はスタティックな構造は語ったものの、《時間》を位置づけそこなったということだろうか。

ラカンと D&G を――というより、精神分析の概念枠と《時間》の関係を整理することで、臨床事業をめぐる論点(それをめぐる立場)も整理できそうに思うのですが、そういう論文や本って、ありますか?>識者のかた



*1:Cf.【臨床とドゥルーズ&ガタリ / ラカン的欲望と『一般意志2.0』 - 精神科医@schizoophrenie と東浩紀】、および【ドゥルーズ&ガタリは、精神医学からみて何を語ったのか】(togetter)

*2:「欲望に関して譲歩するな」というラカン派のモットーから、私はそう理解しているのですが、ラカンが直接「D&G がどう駄目か」を論じた発言はあるのでしょうか。