現実を対象化する技法

志紀島啓氏の tweet より:

    • アレテイア(aletheia)は、真理をめぐる話で、《隠れなさ》とか訳される。
    • ヴィルクリヒカイト(Wirklichkeit)は、《現実性》とか《実在性》と訳される。

志紀島氏が上の引用箇所で何を言わんとしたか、詳細を伺ってみたい。私が思い出したのは、ごく個人的ないきさつだ。


ひきこもり状態にいたる主観的事情を証言した拙著『「ひきこもり」だった僕から』で、私としては意識の硬直の最も核心にある事情に触れようとしたのに、「何を言ってるか分からない」と編集者に指摘されボツになった原稿個所がある(pp.54-55)。 以下の三段落目がそれだ。

 「政治と経済のキナ臭い話にだけは絶対に関わりたくない」、そう思っていたはずの自分がいつの間にか周囲の人間関係を通じて露骨に「政治・経済」の話を始めていた。そのことへの戸惑い。「マルクス」? 冗談じゃない・・・。
 でも僕は、生ぬるい知的環境にいいかげんに嫌気がさしていた。少々危険でもいい。徹底して考えたい。「本当に考えなければならないこと」、それを考えさせてくれる「オトナの視点」というものに、僕もそろそろなじまねばならない。我慢して、必死に自分の知的生活の体質改善を図る。つけ続けている日記の文体が激変する。
 「対象的活動」という言葉がマルクスのテーゼにあって、人間の活動を対象的活動として考える、というんだけど、ひとまず僕は、自分がいちばん苦しむであろう「労働」について考えた。「生きた時間の火」*1。 人間が、この存在世界において為し得ること。「人間の存在論的地位は」なんてことを思い詰めて考えるようになっていった。原動力は、もちろんあの恐怖のような虚無感。「存在」と「意味」が一致しないと、我慢できない、という強迫観念のようなものに取り憑かれていった。「意味」と「対象」の関係がどんどん硬直し、どうやって軽やかに動き回ったらいいか、ぜんぜん分からなくなる。



私は、18〜9歳で聞いた《対象 Gegenstand》というマルクスの概念に*2、本当に取りつかれてしまった。そして、漠然と生きるのではなくて、《現実》を《対象》として見つめ、人間という現象に可能であることの限界まで《対象化》し、そうすることで無意味を廃絶し、この現象を別のものに変えなければいけない、そうでなければ、僕の生は偶然で無意味なままではないか、現象世界に遺棄されたままではないか、と必死だった。
この感覚は私の生を完全に支配してしまい、それ以外のことが全くできなくなった。生きることは、無意味で宙吊りで寄る辺がない。この感覚は、努力そのものを屈辱に変えてしまう(誰も見てない、いつ死ぬかわからない、命綱が切れている)。 どうして元気な奴らは、薄氷の上を当たり前に生きているのか? まだ俺は、「現実をつかんで」いない。なんであいつらは、「つかんだ後のような」顔をしているのだ?


ありていにいって、この 《対象を見詰めきらなければ、自分は壊れてしまう》 という強迫観念が、私の硬直だ*3。 そしてこのあと出会ったラカンの《対象a》概念で、この苦しさを乗り切ろうとして*4、これにも失敗した。


私がいま《制度 institution》概念に注目し、《制度論的な対象》といった表現にこだわることには、自分が監禁された意識の事情が関わっている。私は、自分の意識をどう生きたらいいのか、わからずにいた。それはいわば、身体という画材は与えられたものの、何をどうしていいか、技法がわからないで途方に暮れたような状態に当たるし、今もその、技法論的な試行錯誤は続いている*5



*1:『経済学批判要綱』の邦訳である『マルクス資本論草稿集〈1〉1857-58年の経済学草稿 (1981年)』p.457 より: 「労働は、生命のある造形的な火であり、生きた時間による諸物の形成として、諸物の無常性〔Vergänglichkeit〕、それらの時間性〔Zeitlichkeit〕である」。 この個所は、さまざまな論者がエピグラム等で引用している。たとえば、『労働の現象学 (叢書・ウニベルシタス)』冒頭など。

*2:1987年当時、駿台予備校の大阪校にいた表三郎という英語科教師が、授業や講演でマルクスの思想を語っていた。そこで語られたのが《対象》という概念なのだが、最近の著書を拝見すると、表氏ご自身は、すでにマルクスとは距離を置いているようだ。

*3:私はこの当時、スキゾ・キッズ的な(浅田彰系の)ドゥルーズガタリ解釈が耐えられなくて、対象との関わり方を作りなおそうとしたのだ。

*4:ラカンの《対象a》は、ふつうの意味では《対象化》できない。では、マルクス的な対象性概念と比較したらどうだろう。

*5:書籍『組立 〜作品を登る掲載の拙稿に記したのは、このあたりの話。