強度は、《強さ》か

全編(77分)を観てほしいが、40分ごろからの村上隆の発言と、東浩紀の立場が鮮烈に対立している。

村上隆 挨拶ができなかったり、ひきこもったり。向こうのメリットと自分のメリットのバランスを考えられないから、世界に出ていけないんじゃないの? つまり、人間が腐ってる。 《「人間が腐ってて、いい芸術家」は本当にいるのか?》っていうのが僕の設問なんですよ。日本で人気の芸術家というとゴッホヘンリー・ダーガーが挙がるけど、彼らは言ってみれば「人間ではない」ですからね。ふつうの人間じゃなくて、精神異常をきたしてる方たちなので。そこで僕は《非人になるべし》と思ったんですよ*2。 非人になる決意もなくて、ダーガーやゴッホを語るな。でも、非人の世界にも非人の掟(おきて)がある。僕らの世界にも掟があって、それを理解もできない奴がこの世界に入ってくるな。日本のアーティストは全員その掟を知らないので、全員ダメだと思ってます。なぜ奈良美智が生き残ってるかと言ったら、その掟を知ってるから、シェアしてるわけです。コミュニケートできてる。若いアーティストは、才能の前にあるべき人格がない。

これに対し東浩紀は、平常時と危機時では、役に立つ人材のタイプが違うという(30分20秒〜のやり取り)。

東浩紀 時代が変わるとはそういうこと。今まで無用だとされていたものが有用になる。オタク・ひきこもり的な感性が、これからの日本を良くしていくのに、何らかの有用性を発揮すると思っている。


    • ひきこもった者は、「礼儀を知らない」「精神異常者」。あるいは何を言っても、「非人=ひきこもりのくせに」*3。 そして医師の多くは、「医師/患者」の身分制を崩さない。
    • なろうと思って精神病になるのではない。やろうと思って引きこもるのではない。 病気はともかく、ひきこもりについてはどうなのか?
      • 今は疾病利得、あるいは「当事者利得」という合理的計算から、意図的に《病者/障害者》を名乗る者がいる。名詞形で《当事者》を語る限りそうなる。
      • アーティストが業界のロジックを分析し、戦いに勝とうとするように、逸脱者も環境のロジックを分析する。
      • 無力な者が合理的にふるまおうとしたとき、名詞形の弱者を演じるのが最適解になっている*4

考えなければならないのは、名詞形の区分ではない。動詞形として何を生きるか。


視聴者の質問: 凡人の僕にもできることはありますか。(53分30秒〜)
村上隆 そういうモノ言いがむかつく。そんな奴、できねえよ。できることなんか何もありません。痛みを伴わなければできない。そういう世の中になってきたことを理解してください。どうにかして社会とアクセスするしかないと思いますよ。
東浩紀 でも、皆がそれをやるのは無理なので。僕はそれを言う気はないんです。芸術とか言葉の機能っていうのは、《お前しっかりやれ》ではないわけですよ。

以下、東浩紀が熱心に語る。

 思想とか芸術は、構造的に弱者のためにしかならない。強い人のためには要らない。僕は個人的には弱者が嫌いですが(笑)、それとは関係なく、思想とか芸術は弱者のためにあってしまうもの。 強い人間でないとモノはつくれないけど、弱い人がそれを消費する。思想とか芸術は、構造的にそうなってる。

      • ルールを理解してそれを組み替えようとする奴と、消費しかできない奴*5
      • 今は弱者にとって、「制度を分析したうえで、そこに依存する」が最適解になっている。 制度を分析した者は、必ずしもそれを組み替えようとするわけではない。





本当の問題は、《破綻を通じて、どう別の強さを生きるか》

    • 「強いか弱いか」という一元的な比較は、ニセの問題設定。
    • 「才能とは努力できることだ」。 極端なことを誠意をもってやれるのは、「見てしまった」人たち。
    • 今は当事者発言というと弱さのだらしなさとしか思われていない。ところが私は、まさに強度の問題としてこそ当事化に取り組んでいる。*6



勝負のポイントは《触媒として生成できるか》にあるので、名詞形で「当事者」と言った瞬間にすべて台無しになる。
(触媒として生成する以外に、人間という存在に何ができるというのか)
いまは《消費し、消費される》という形でしか、触媒になることを許されていない。



*1:※対談全編のニコニコ動画を貼っていたのですが、権利上問題があると考え、こちらのリンクに貼り直しました。

*2:村上氏が挙げているのはこの本: 網野善彦中世の非人と遊女 (講談社学術文庫)

*3:この十数年で私に最もひどい差別発言をおこなったのが、部落問題をやる左翼の人間だったことへの絶望。日本の左翼は、差別的カテゴリ主義に加担している。

*4:それを道徳的に禁じるだけではなく、そもそも「名詞形を演じること」が最適解にならないような環境を、設計・醸成しなければならない。

*5:消費にしか興味のない人たちは、相手を消費財としか思わない。だから「役に立たなければ要らない」。その同じ目線で自分を見る。だらしなさや官僚的実直さは消費側であって、つくる側ではない。

*6:グァタリのいう特異化、分裂分析、そして強度。ぜんぶその話。ここで「当事化」というのは、「当事化」のタイポではなくて、わざと言っている。当事《者》という名詞形に抵抗するために。(詳細は稿を改めたい)