「ひきこもるのは、富裕層ばかり」という印象操作

最後の2ページが引きこもりの話です。 以下、そこからの引用:

 わが子が贅沢な「ドラ息子」になることは、大金を稼ぐ人たちの共通の悩みであるようだ。(略)
 その証人が「母親塾」代表の桑野裕子氏。口コミのみで全国から子育ての相談を受けている。中でも多いのが引きこもりで、これまで1万件以上の相談を受けたが、ほとんどの家庭が富裕層だった。
 「母子家庭や生活保護を受けている家庭に不登校はまずいません。他人から一目置かれるような仕事を持たれていて、所得も上位5%に属するような親御さんが8割以上です。職業でいえば会社の経営者とドクターがほとんどを占めます。 6ページ目



以下は、ひきこもりの家族会である「KHJ 親の会」の統計で、2006年1月のものです(PDF資料)。*1
その中から、「世帯収入の変化」という図を抜き出しました。 父親の平均年齢は61.6 歳です。



5年後に予想される平均年収は「369万円」
KHJ という母集団にどういうバイアスがあるか、あるいは5年後(つまり2011年)*2にどう推移したかは細かく論じられると思いますが、「経営者とドクターがほとんど」「上位5%の富裕層」の話には見えません*3


厚労省の「所得再分配調査」によると、1,000万円以上の当初所得がある世帯は、《2005年時点》で12.4%、《2008年時点》でも10.3%

PDF資料「住友信託銀行 調査月報2004年3月号」には、年収が「最上位5%前後にあたる年収1,500万円以上の世帯」について、「1997 年時点では年収上位6%に相当、2002年時点では上位4.1%に相当」とあります。 2012年の現在、経済状況はさらに悪化していますが、桑野氏のいう「所得の上位5%」は、大まかには「年収1,000万円〜1,500万円超」の話でしょう。
――「ひきこもりの8割は、年収が1,000万円以上の世帯」という主張は、上の図から見てあり得ません。


また、就業者総数6,222万人(平成23年、総務省)の5%というと、約311万人*4。 世帯数5287万7802(平成21年、総務省)の5%なら、264万3890世帯
いっぽう引きこもる人は70万人ですから(PDF資料、内閣府)、そのうち富裕層が8割というなら、56万人はいるはず(70万人×80%=56万人)。
これでは、富裕層「上位5%」の5〜6世帯にひとつが耐え難い引きこもり事例を抱えることになります。
――いくらなんでも出現率が高すぎませんか。


取材に答えている桑野氏のお名前は今回初めて知りましたが、検索すると以下の記事が(参照)。

 教育カウンセラーで「母親塾」代表の桑野裕子さんは話す。息子2人の中学受験を通じ、

中学受験をする家もさまざまですが、「クチコミのみで」「経営者とドクターがほとんど」という人脈が気になります。

このかたに相談を持ちかけている時点で、階層的にそうとう絞られているのではないでしょうか。

      • 桑野氏は「1万件以上の相談を受けた」というのですが、ひきこもり事例70万人のうち、70人に一人は桑野氏のお世話になったという凄まじい数字です。 まいにち休みなく新規の相談を聞いて27年、毎日3人ずつ新規でも9年以上かかる計算ですが*5、何をもって「相談を受けた」と言っているのでしょう。
      • 年収の話はデリケートで、面と向かっては依頼者に訊きにくいものです。どの程度の数から聞き出されたのでしょう。 統計的な誤差をなくすために、対象の範囲やサンプル数に配慮はあったでしょうか。
      • 桑野氏は、「子供たちはささやかな愛情を求めている」というのですが、これは10年以上前から繰り返される「駄目なカウンセラー」のクリシェで、こういうものが機能しないことを知った上でどうするか、が今の問題であるはず。議論のレベルが低すぎます。


問題意識の再設計をするべき

ひきこもりについての調査は、全体像をうかがい知るにはあまりに不完全だし、短期的には正確な調査も望みにくいので*6、統計レベルの問題としては、さまざまな資料から推測で話すしかありません。 そうなると、「KHJ 親の会」の母集団が、低所得層側に偏っている可能性もあるでしょうか。

  • 所得層に応じて議論を分ける必要がありますが、
    • 富裕層については、ひきこもり状態は世代間の再分配システムとして効率がよく、そういうものとして再考できそうです*7。今回の記事は煽情を目指したものでしょうが、本当に富裕層ばかりなら、あらたまった再分配は必要なくなります。
    • 上記 KHJ の調査に理念型としての信憑性がある場合、このままでは死屍累々ですが、それでも未曾有の無縁化・高齢化社会のなか、「無理な人には再分配」だけでは、長期的・大局的な指針になりません。破綻が自明です。

私自身は、なし崩しに死んでいくケースが今後も増えることを前提にしたうえで*8、「金銭的再分配を目指すだけでは、生じている問題に取り組んだことにならない」という立場です。センセーショナリズムや、単なる全面肯定とは別の、問題意識の再設計こそが必要なのです。
主観性がどうとか、中間集団がどうとか、わかりにくい話を私が必死にしているのは、そのためです。



何をすれば仕事をしたことになるのか

今回の『現代ビジネス』記事は、『週刊現代』2012年2月11日号がもとになっているようですが、ネットには署名がありません。

この執筆者は、これだけデタラメな記事を書いて「仕事をした」とされ、対価を得た。いっぽう、このエントリを何時間もかけて書いた私は、お金にならず、「ヒマだな」と言われ続ける。世間的に真っ当なのは、私ではなくてこの記者です。社会というのは、こういう人によってこそ構成されている。彼らがポジションと収入を維持するには、本気で考えた人間は消えなければならない。出鱈目がアリバイを維持するには、本当の話は邪魔だから――それを認めるのか。


今回の記事は、ひきこもり問題を憂慮するふりをしつつ、問題のあからさまな加担者です。そしてこれと同じ構図が、ひきこもり支援周辺にもある。

問題意識を持ってしまうから、仲間に入れない。ロボトミーさえできれば、笑顔でいられるのに。洗脳され尽くせば、友達が増えるのに。――問題意識を抹殺する「支援」なのか、それとも、問題意識そのものに付き合う事業なのか。予算がつくのは、前者です。


この状況を変えるなら、心身症のように湧いてしまう問題意識で、戦わなければならない。――ところがそのような身体性がまた、あなたをこの社会から排除する。


生活を維持するとは、奴隷としてデタラメをやって大金を儲けること。
既得権者におべんちゃらを言えなければ、一人前ではない。それを弁えたうえで、少しでも状況を改善し、自分の政治をやろう。 「政治的意図なんて、持っちゃいけません」? あなたはルーチンで騒ぎ立てれば、仕事のアリバイをもらえるんだろう。
「そういうやり方そのものに、問題の根本がありませんか? その意味で、あなたにも当事者責任があります」と話し始めたら、彼らは職を解かれてしまう。だから排除されるべきは、私の側になる。


斎藤環さんの件も、軽く考えないでください(参照)。 同じ構図です。 私が引きこもりの根幹に触れたとたん、彼は降りた。最初に怒ったのは、彼ではなく私です。その怒りを口にした途端、私は仕事の機会を失った。医師の彼は、それでも安泰でしょう。しかし私は、問題意識それ自体が逸脱的とされてしまう。これは本物の政治です。――そしてルサンチマンは、処方箋ではない。


開発する必要があるのは、努力の技法です。それを解決済みとみなす人は、有害になる。
既得権は、問題意識の構造そのものにある。



*1:PDF資料によると、「平成17年9月〜12月に、全国引きこもりKHJ親の会の43支部において調査」「603名の回答を解析に用いました」とのこと。 「KHJ親の会」の会員は、現在約8,000家族(参照)。

*2:2006年の5年後ということで、すでに5年が経過していますが、最近の数値が見つかりませんでした。

*3:もう何年も前から医療機関の倒産は話題になっていて、「倒産が減った」とニュースになるぐらいだし(参照)、クリニックの経営者が必ず裕福というわけでもないはずです。ひきこもりの記事全般にも言えることですが、マスメディアで喜ばれそうな表現は、煽情的に先入観を反復するだけで、問題構造のディテールを描きません。

*4:「就業者ではないが、収入がある」というのは、どれほどいるんでしょう。

*5:10,000人÷365日27.4年。

*6:「調査のためのインフラ整備」からやり直す必要があるのだと思います。

*7:参照:「個人金融資産の年代分布」(Chikirinの日記)。

*8:亡くなったいきさつのよく分からない「異状死」は、凄まじい勢いで増えています(参照)。