イデオロギーでも憐れみでもなく、つくるプロセスを主題化できないか

  • 【近刊】 Félix Guattari, Marie Depussé, De Léros à La Borde(Nouvelles Editions Lignes)*1
    • フェリックス・ガタリ、マリー・デュピュセ 共著、『レロスから、ラボルドへ』

フランス語版が2012年1月19日に刊行予定の本です。
タイトルにある「レロス Léros」*2というのは、政治犯の収容や患者への虐待が問題となった精神科病院のことで*3ギリシャの島の名前です。
「ラボルド La Borde」は、ガタリが死ぬまで勤務していた精神科病院のこと(フランス)。
本の紹介を読むかぎり、ラボルド病院やガタリの方法論と、反精神医学周辺の葛藤をめぐる内容のようです。




ロス島に関連して



BBC 「暴露された、ギリシャの精神科ケアの失敗(参照)」(2009年6月30日付)より*4

 this could be considered the veterinary approach to psychiatry.
 これは、精神医学への獣医学的なアプローチと考えることができます。*5

いわゆる「動物化」は、介護や精神医学では身近な関係性の問題です。


東浩紀一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』では、「動物としての人間がたがいに憐れみを抱き感情移入をしあう」、その意味での自由の可能性に賭けるという立場表明がなされています(pp.208-214)。 しかし、通りすがりに目撃する程度ならともかく、持続的な中間集団としては、これには期待できません。

  • 感情移入の関係性は、いくらでも残酷になり得ます(むしろ動物以上に)。
    • いじめや嫌がらせは、身近な関係で起こる。
    • 最初は憐れみと感情移入で始まる自助系の活動は、必ずしもうまく行かない。
    • 「うまく行かないのは愛情がないから」とは言えない。



中間集団では、ハーバーマス的《熟議》だけでなく、ローティ的《憐れみ》も、うまくいきません。



ドキュメンタリー映像 Island of Outcasts(追放された人たちの島)(1990年)より*6

ロス島に入院し続けている息子から、実母に写真が届けられる。
http://www.youtube.com/watch?v=2cM3CQgIdUY&t=0m37s
スカーフをかぶった年配の女性が母親。息子の名はイリアス

監督: 息子さんが、お母さんによろしくとのことです。彼はあなたに、自分の写真を送ってきました。
母親: ・・・・〔黙って写真にキスする〕・・・・年をとったわね。
別の男性: ええ、もう50歳ですから。
母親: イリアスは、年をとった。・・・・・誰だか分からないくらい。
別の男性〔子供たちに呼びかける〕: バルバラ、おいで! ニッキに、来るように言って!
母親: 私の息子に、愛を。私のイリアスに、たくさんのキスを。・・・・私に何ができるの? 〔そう言って泣く〕
監督: もう何年も、彼に会っていませんよね。
母親: 何年も・・・。会いに行きたくはありません。一度、あそこの女性セクションのいとこを訪ねたのですが、出てきたときには、気持ちが悪くなった。あそこに行って息子に会うなんて、できません。私には、それだけの心の強さがなかった。 〔泣きながら〕 私は、息子をとても愛していた。私は二回目の結婚をして、なんとかやっています。でも、無理です・・・・彼は、子供の時から病気だった。 〔写真をじっと見つめて〕 ・・・・私に何ができるの? 私はひどい母親だわ。わが子が100人いたって、そのたった一人とすら、別れてはいられないものよ。私に何ができるの。息子は、私が食事にクスリを入れたと言って、食べようとしなかった*7。それに彼は、他の子供たちを追いかけ回した。彼は問題そのものだったのです。医者は、「彼は精神科病院で生きるべきだ」と言いました。「そうすれば薬物治療を受けられるし、イライラすることもないだろう」と。だから私たちは、彼が施設で過ごせるよう、彼を送りました。いま、私たちに何ができるの・・・・ずっと患者さんたちに囲まれる息子の人生は、なんとつらいのだろう。クリスマスも、復活祭もない。子供のころは、彼を好きなお友達が一杯いました。今、彼はどうしてるの? 元気なの?
監督: ええ、元気です。彼は満足しています。お花に水をやっていますよ。おだやかです。



映像ではこのあと、母親が息子のために木の実をとり、
それを監督が、長期入院中の息子さんに持参しています。
愛や感情移入があっても、身近な関係はどうにもならない。
家族だけを責めても、責める声が不当になる。



感情移入にも、ベタな話し合いにも期待できません。

わたしたちの主観性と集団は、それ自体が制作過程にあります。
これに「動物化するな!」とかの硬直したイデオロギーをぶつけても、それはそういうスタイルでの主体化と関係性を生きようとしているだけで、新しい提案になっていません。内容以前に、《制作過程のスタイル》が決められてしまっています。
制作プロセスそれ自体についての提案が必要なのです。 私が取り組んでいるのはその問題です。



*1:共著者になっている Marie Depussé(マリー・デュピュセ)は、ラボルド病院の院長ジャン・ウリとも対談本を出しています(参照)。

*2:「Léros/Λέρος」という島の名前は、ギリシャ語、英語、フランス語、日本語などでは「レロス」(参照)、イタリア語では「レロ」と発音。

*3:イギリスで大きく報道されたのは1989年。 cf. John Merritt, "Europe's guilty secret"(英Observer, 1989年9月10日付) 記事の写真ほか

*4:リンク先の英文に「20年後(Twenty years after)」とありますが、その「20年前」がレロス島のことです。

*5:この発言は、レロス島にいる人ではなく、アテネ市にあるドゥロモカイテオ病院の研修医、イオルゴス・アストリナキス(Yiorgos Astrinakis)氏によるもの。 〔リンク先の英文では「Dromokraitio」となっているが、「Dromokaitio」のタイポと思われる。〕

*6:患者さんの顔や陰部がそのまま映っていますが、この映像作品を Youtube に up したのが『psi-action』という活動グループであることから、何か社会的なコンセンサスがあるものと受け止めました。 本エントリにUPしたのは、英語字幕からの拙訳です。

*7:ブログ主による注】: 説明はないが、被毒妄想(食事に毒を盛られていると思い込む)と思われる。