クライン/ラカン的な対象論と、ウリ/グァタリ的な制度論を同時に考えるのに、廣松渉の「モノからコトへ」は無視できないと思って検索していて、以下の三つを続けて読んだ。これは素晴らしく示唆的だった。

直接の参照はできないが、いずれもいま取り組んでいる原稿のため。
主観性の生産と関係性の生産は切り離せない、という話を、わかりやすく文脈に乗せたいのだが。

    • 【2011年12月23日追記】: 「示唆的である」というのは、意見やスタイルが一致することを意味しません。私の取り組みたい焦点は、上記三氏とは違います。