私の発表では、次のようなお話をしました(大意+補足)。
- 東北の体験談にもあったが、1995年の被災時にも、感動的な助け合いがあった。 しかしそれは、ライフラインの復旧とともに潮が引くように失われた。
- 私がこの10年あまりに助けていただいたのは、多くが手作りの活動だった。しかしそれは、みな経済的に苦しい。持ち出しが基本で、赤字ばかり。いっぽう、阪神・淡路大震災以後の巨額の資金は、住専問題(6,850億円)や神戸空港(3,140億円)*1に流れ、手作りの事業を支えるインフラ作りには使われなかった。日本では、巨大事業の《内側》に入れた人は理不尽な恩恵を受けるが、《外側》に置かれた人は、不当な排除を受ける。東北の震災以後、とくに原発関連に同じ構図を感じる。
- こうした状況では、「障碍者」などのレッテルをもらうことでしか《内側》に入れない。そこで、特に高齢化した引きこもり経験者からは、「へたに悪あがきしないで、障碍者役割をゲットしようぜ!」という動きが出ている(参照)。 いちどレールから外れると二度と《内側》に戻れない社会では、努力するとかえって危険。
- 医師や支援者は「仲間を作れ」というが、その仲間作りこそが難しい。無理に社会復帰しても、元気な人ですら孤立する。単に「なすべき課題」を突きつけるのではなく、それを実現することの難しさそれ自体をテーマにしたい。
討議の時間には、世代や体験によって、お立場がまったく違いました。
イベント終了後には、何人かの方と「時間が足りない!」という話に。
東北大震災のケタ違いの巨大さ・異質さは、神戸との単純な比較を許しません。しかし、生じている問題の構造には似通うところがあるし、「ひきこもり」は、その状況の構造と切っても切れません*2。
*1:参照:「神戸空港の現状」(PDF、機長組合NEWS、2008-10) あるいは、 http://www.youtube.com/watch?v=sKVYOlu4K3M
*2:ひきこもり問題に取り組むことで、状況の核心に触れることになります。