支援団体や自助グループ、ひいては就労へのアクセスが難しい理由として、次の2つがある。
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- しがらみ(党派性)に巻き込まれる
- ストーカー
説明の切り口はほかにも作れるが*1、「人とのつながりに入ることの恐怖」として、この2つが――話題としてすら――抑圧されているのが、本当に異様だ*2。 なぜそうなるか?
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- それを扱おうとした論者じしんが問われる
- 名詞形の「ひきこもり当事者」じしんを問い直さざるを得なくなる
自分の支援事業に疑いを挟まず、「支援される人」を美しく描こうとする業界の隠蔽体質が、露骨に表れている*3。
人とのかかわりを再検討しているのだから、かかわろうとする人は全員が、自分の来し方ゆく末(実状)を問い直して当たり前だ。
《名詞形の “当事者” をやめて、動詞的に 当事者-化 しましょう》 というのは*4、
動詞形で生きられる つながり*5に、協働で取り組みましょう、というほどの意味だ。