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- 「組立、配置、エコノミー、arrangement」(togetter)
細かく読みこんだり周辺を調べたりしながら、静かに興奮していた。
これまで、思想や芸術がどうとか、精神医療がどうとか、
バラバラに読み散らしてきたことが、次のつぶやきで繋がった。
柳澤田実編『ディスポジション 配置としての世界』(現代企画室)立ち読みしたら、面白そうだった。この本ではフィーチャーされてないけど、dispositioというのは、oikonomiaのラテン語訳なわけで、エコノミー論とディスポジション論を接続したら、何か出てきそうだよね。
言葉や事物の配置を工夫することが、
「オイコノミア」 つまり 《家政=経済》 の工夫であり、
それには神学的な含意がある。
詳細は上のやり取りをぜひ読んで欲しいが、たとえば
《神は無意識的である》*1というラカン的モットーを経由すると、
フロイト的な無意識は、そのままで「オイコノミア」の新しい提案だったことになる。
経済の外に倫理があるのではなく、倫理は最初からオイコノミアの問題だろう。
*1:《無神論の真の定式化はたんに「神は死んだ」ということではなくて、「神は無意識的である」ということ》(『ジャック・ラカン 精神分析の四基本概念』p.79)。 原文は、「la véritable formule de l'athéisme, c'est que Dieu est inconscient.」(参照)