《つながりの設計者》が欠けている

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 私たちのすぐ近くにある無縁社会。それをさらに広げると懸念されているのが単身世帯の急増。「単身化」です。国の研究機関の推計よると、1980年に20%にも満たなかった単身世帯が、2030年には40%近くに上るとみられているのです。 無縁社会 今、何が起きているのか

 結婚しない人がこれからどんどん増えていって、2030年には男性の3人に1人、女性が4人に1人が結婚を経験しないということですね。 変わる働き方、家族のかたち

 絆(きずな)の部分の制度化、ちょっと絆と制度というのは結びつかない言葉だと一般的には思われるかもしれませんが、現場にいるものとしてはそこまで追い詰められている。絆さえもある程度社会制度的な枠組みをつくらないと、個人の善意に任しておいては手が打てない。私は絆の制度化ということをあえて今言うべきだと思っているんです。(奥田知志) “絆の制度化”を

樋口明彦氏がおっしゃっていた、「社会関係の再分配」を思い出す(参照)。


「絆を制度化する」という言い方の危うさと可能性。 そこで絆は(ということは、拒絶は)どのように設計されるのか。 システムや建物の設計者ではなく、関係性の設計者こそが欠けている。(あるいは「党派性の設計者」と呼び換えてもいいかもしれない)
たとえば「古き良き共同体」みたいな安易さしかないなら、絆の押しつけは耐え難い。 仲良くなることそれ自体がナルシシズムに満ちていて、つながりが依存や暴力になりやすい*1。 こういう状況全体を主題にするのでなければ、絆はかえって不安材料になる。


《つながり》を単に標榜すれば、反省なき作法を押しつけることになる。
つながりは、いわば政治的バイアスをもつ。

 対人サービスの特にパーソナルなサポートのための人材にお金をかけなければいけないと思いますね。(宮本みち子) ひとり一人を支えるパートナーを

これは本当にそう思う。 問題は、その予算がどういう思想のもとにあるか。
私のしごと館」が成り立つような状況のままでは・・・

 医療だったら医療で実はコーディネーターが居るわけです。医療ソーシャルワーカー。福祉だったら、ケースワーカー。それぞれ居る。でも、なぜそれがうまくトータルな伴走者にならなかったかというと、制度内コーディネートだからです。 制度内コーディネートをうまく活用するために、(略) 制度またぎの伴走的コーディネートという枠組み、ある意味、家庭に代わるものをある程度枠組みとして制度上作らないと・・・。(奥田知志) 持続性ある“伴走者”を

本当に重要な指摘で、ドゥルーズ/ガタリの議論はここにつながるはず。
思想の研究者が、表向きは党派イデオロギーで大言壮語しながら、親密圏ではDV的であったり、品性下劣の極みだったりする。研究者本人が、親密圏の関係性をどうアレンジしているか。そこで公私のからみ合いはどう設計されるか。思想というなら、その技法が問われる。
関わりたくもない相手にオルグされるしかない、そんな関係技法しかないなら、つながりを論じることそれ自体に公私混同が生じる。 左翼党派の失地回復で鼻息を荒げるだけではどうしようもない。 現に多くの実験的グループは、《集団のもんだい》で挫折している*2


 行政がやりたくないケース、行政が困難なケースをNPOに丸投げする*3、というようなことが当時ありまして、「私たちはボランティアというのは安上がりの労働力じゃないんだ。行政の下請じゃないんだ」と言って強く反発した思いがあるんです。(山井和則) 無縁社会 公共の責任は

NPO関係者にお話をうかがうと、「公的助成が必要」という声と、「お上の世話になりたくない」という声の両方がある。 公的資金を得る団体は、その予算枠の理念に縛られる*4


また、公的資金のない自生的組織であれば柔軟なつながりが生きられるかと言えば、全然そんなことはない。
たとえば東浩紀氏は、ご自身が中心となったised企画について、「飲み会がなければ成り立たなかった」と貴重な証言をされているが*5、そもそも一般的に、飲み会にはコミュニケーション作法のヘゲモニーがあり、「ここは合わない」となったら徹底的に合わない。無理に同席しても、その場で共有される《飲み会の機能》を押しつけられるだけになる。

「俺たち友達だよね」で何を意味しているか分からない状態から設計し直さなければならない。 「環境管理+飲み会」で良いと言われても、その《飲み会》部分は古い作法のままなのだ。



*1:彼らは、友愛に満ちて接する自分に酔っている。 関係性に設計意識をさし挟むことが許されない。 「つながりを作ろうとしている自分が、悪いわけがない」。

*2:私はこの10年、「仲間を創ろうとして失敗する」の連続だった。

*3:たとえば引きこもりへの対応については、行政系窓口の多くが「困難を感じる」と回答している(参照)。

*4:つながりを創りだそうとする支援には試行錯誤がつきものだが、そういう実験的なことは行政側の理念枠をはみ出すことが多い。しかたなく「予算枠どおりの」事業をすると、行政は納得するが(だから翌年も予算が出る)、本当に必要なことは何もできなかったりする。そこで運営者が、現場スタッフと行政の板挟みになる・・・

*5:ised 情報社会の倫理と設計 倫理篇/設計篇【全2巻】セット』末尾の「ボーナス・トラック」より