《当事者の話を聞きたい》――それがすでに間違っているかもしれない。 《良心的欲望》のかたちにおいて、すでに臨床的選択は終わっている*1。
真剣に思いつめたスタイルは、本人の最も大事なナルシシズムを構成している。 「それが間違っている」と言われると、多くの人は激怒する。 解決しようとする姿が問題の一部であるという指摘は、悪魔のささやきのように迎えられる。
間違ったまま反省されない当事者論が、無意識的なフレームを形づくる。 「これで問題に取り組んだことになる」というアリバイだけが再生産される*2。
「抜本的改革」が叫ばれるが、それを叫べば取り組んだことになってしまう政治家や支持者の思い込みは見直されない。 本当の問題構造は、関係者のナルシシズムと同じフレームをもつ。 そこに「ひきこもり当事者」も加担している。