1月17日、東遊園地

震災から15年たつが、この日付で立ち寄ったのは初めて*1
夕方5時46分からの黙祷に参加。 少しだけ15年前の空気を思い出す*2
モニュメントにも立ち寄り、供えられたお花などを見ながら、1時間くらい過ごす。

夜11時から、NHKドラマ『その街のこども』を視聴*3

「面白いお話」ではなくて、こういう趣旨のドラマをもっと見たい。
要するに私は、体験を検証するための《場所》になるような作品を求めているし、自分のその欲望に、社会的な居場所を与えようとしている。(それは、「自分個人が全面肯定される」のを望むこととは違う。*4

    • 自分で物語ることも含めて、「ドラマ仕立て」というのは、体験を捉えなおす補助になる。しかし一方でそれは、主観的な思い込みの暴力を忘れてしまう。 何かが《組織される》というのは、どう頑張っても暴力になってしまう。 「当事者の語る物語だから、全面肯定されなければならない」のではない。 それは検証素材(リマインダ)に過ぎない。 ▼逆に言うと、「組織すること」の暴力を恐れていると、何もできない。何の手続きもない、「暴発」しかできなくなる。
    • 「当事者の語る物語」を全面受容するしかない文化に、私は別の《場所の作法》を持ち込もうとしている。 ▼個別の「重要な問題」ではなくて、むしろベタな作法とは別の、《場所=関係》の作法をこそ位置づけようとしている。


【追記】:「神戸新聞の7日間」視聴率19・3%

こちらは放送を知らなかった。 再放送希望…



*1:被災時の私は神戸にいましたが、家族はタンコブ程度だったし、身近な誰も亡くなっていないし、家も補修で済んでいます。――私にとっては、喪失やダメージというより、「原体験」です。

*2:上空にはマスコミと思われるヘリコプターが4台いて、黙祷のあいだも凄い爆音。それも15年前と同じ。

*3:森山未來は、方言が自然なだけでなくて、演技が本当にうまかった。

*4:言葉への欲望の承認は、《存在》として承認されることとは別のものだ。