- 「サンクトペテルブルグ第239学校」(旧レニングラード、p.42) 10代のペレルマンが通った、理数系を中心としたエリート校(1961年開校)
- ドミトリー・エゴロフ(p.21) ボルシェビキの運動から教会と学問を守ろうとして追放
- アレクサンドル・ヒンチン(p.21) ロシア革命直後の状況について述べた数学者
- ニコライ・ルジン(p.22,276) エゴロフの教え子で、革命後の数学者コミュニティを率いた
- セルゲイ・ゲルファント(p.26) 1990年代初めにロシアを離れ、ロシア数学者の成果をアメリカで翻訳出版
- アンドレイ・コルモゴロフ(p.28-,276,) 数学専門学校設立の陣頭に立ち、ソ連内に数学教育のオアシスを作り出す
- パヴェル・アレクサンドロフ(p.29) コルモゴロフの同棲相手
- 「ドルトン・スクール」、「ドルトン・プラン」(p.32)
- イサーク・キコイン(p.35) 原子核物理
- レオニード・ブレジネフ(p.36) 任期:1964年10月14日 – 1982年11月10日)
- ジェローム・ブルーナー(p.39)ハーバード大学の心理学者
- ユーリー・キム(p.45) 反体制のシンガーソングライター
- セルゲイ・ノヴィコフ(p.47) ソヴィエト最初のフィールズ賞受賞者
- レオニード・レヴィン(p.47) コルモゴロフの教え子で、反体制派と交流して放逐される
- セルゲイ・ルクシン(上から3人目 Сергей Рукшин、p.53-,257,277,etc.) ペレルマンの所属した数学クラブを主宰
- ガロルド・ナタンソン(p.57) ルクシンにペレルマンを勧めた大学教授
- アレクサンドル・ハリフマン(p.72) チェスの世界チャンピオン
- タマラ・エフィモワ(Тамара Ефимова、p.87,268) 第239学校の現在の校長
- ヴァレリー・リジク(p.89-95,243) 25歳で第239学校で教え始め、数学カリキュラム作成
- アレクサンドル・スピヴァク(Александр Спивак、p.105) ペレルマンと一緒に、1982年の数学オリンピックに出場。現在はモスクワの数学専門学校で教員
- ナタリア・グリンベルク(p.114) 1981年にソ連1位だったのに、ユダヤ人差別で数学オリンピックに出れなかった女性
- ダリア・グリンベルク(p.115) ナタリア・グリンベルクの息子、数オリ金メダル
- エルノー・ルービック(p.119) ルービック・キューブ発案者
- ヴィクトール・ザルガラー(p.130) 第239学校の数学カリキュラムと教育スタイルを独力で作成、類いまれな話し上手
- アレクサンドル・ダニーロヴィチ・アレクサンドロフ(p.133,276) 「アレクサンドロフは、グリーシャに絶大な影響を及ぼしました」
- オルガ・ラディゼンスカヤ(p.137,225,246) アレクサンドロフを馬鹿にしたのに助けられる ⇒のちに、ペレルマンに居場所を与える
- ウラディミール・ロフリン(p.138,156) グロモフの博士論文を指導
- ポントリャーギン(p.138)
- イヴァン・ヴィノグラードフ(p.138) 反ユダヤ主義者、ステクロフ数学研究所所長
- フェジャ・ナザロフ(p.142)
- アンナ・ボゴモルナヤ(同)
- エフゲニー・アバクモフ(同)
- コンスタンティン・コハス(p.144) 以上4名は、17歳のペレルマンに無茶な指導を受けた2歳年下の生徒たちで、それぞれが大学教員になっている
- ルドヴィク・ファデーエフ(p.150) ステクロフ数学研究所のレニングラード分室に着任した責任者
- ユーリー・ブラゴ(p.151,155,159,180,226,246,etc.) ザルガラーのかつての教え子で、レニングラード分室でペレルマンの所属する研究グループを指揮。 ⇒のちにペレルマンと対立(p.224)
- アレクセイ・ヴェルネル(p.151) アレクサンドロフの教え子で、共著もある
- アンドレイ・サハロフ(p.155) ノーベル平和賞、物理学者
- マイケル・アンダーソン(p.163, 170,182,213,223,245,255,etc.) アパート探しを手伝い、ペレルマンから論文のネット掲載の連絡を受けた一人
- デトレフ・グロモル(p.168) チーガーと「ソウル予想」
- ピーター・サーナク(p.176) プリンストン大学の教授⇒のちに数学科長
- ジョン・マザー(p.176)
- サイモン・コッヘン(p.176) ペレルマンが「ソウル予想」証明講演をしたときの、プリンストン大学数学科長
- アナトリー・ヴェルシク(p.179,263,279-80) サンクトペテルブルク数学会長、ステクロフ数学研究所
- ベルンハルト・レープ(p.181) 国際数学オリンピックでペレルマンと知り合った
- バートランド・ラッセル(p.190)
- ニコライ・ロバチェフスキー(p.191)
- ヤノシュ・ボヤイ(p.191)
- ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス(p.192) 以上三名は、ユークリッド幾何学の第五公準に取り組んだ
- リヒャルト・クーラント(p.192)
- ハーバート・ロビンズ(p.192)
- ベルンハルト・リーマン(p.193) 曲がった空間の幾何学、「非ユークリッド幾何学」を打ち建てる
- レオンハルト・オイラー(p.194) 「ケーニヒスベルクの橋の問題」から、トポロジーの嚆矢となる
- ジョン・スターリングス(p.200-202) 7次元以上についてポアンカレ予想を証明
- スティーヴン・スメール(p.200-1) 5次元以上についてポアンカレ予想を証明
- クリストファー・ジーマン(p.200) スターリングスの証明を5次元と6次元に拡張
- アンドリュー・ウォレス(p.201)
- 山菅弘(p.201)*1 5次元以上について独自の証明
- マイケル・フリードマン(p.202,226) 4次元について証明 ⇒フィールズ賞受賞、現在はマイクロソフト勤務
- ウィリアム・サーストン(p.202,212,214,etc.) 【幾何化予想】
- リチャード・ハミルトン(p.204-9,217,227-231,244,265-6,etc.) 【リッチ・フロー】
- ペン・ルー(オレゴン大学、p.217)
- ウルズラ・ハーメンシュテット(ボン大学、p.218) ペレルマンのe論文についてクライナーに質問
- トマス・ムロフカ(p.224) 『ニューヨーク・タイムズ』に、ペレルマンの講演についてコメント
- ジム・シモンズ(p.232) ストーニーブルック数学科長 ⇒ヘッジファンドマネージャー
- セルゲイ・キスィリャコフ(p.247-251,259) ペレルマンが最後に勤務していたステクロフ数学研究所所長
- グリゴーリー・セレージン(p.248-249) オルガ・ラディゼンスカヤの後任(参照)
- ツァオ・ファイトン(曹懐東)とチュウ・シーピン(朱熹平) 連名で、「自分たちこそが証明を完成させた」と発表
- ヤウ・シントゥン(丘成桐) (p.252,255,258,279,etc.) 論文著者の二人を指導し、ヒーローとして発表
- シルヴィア・ナサー〔wikipedia〕(p.255) 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』著者。ペレルマン論文をめぐる顛末を取材し、『ニューヨーカー』にレポート記事を執筆
- デイヴィッド・グルーバーとの共著『Manifold Destiny』
- ジョン・ボール(p.261) 2006年のフィールズ賞受賞者を発表
- アンドレイ・オクニコフ(p.261)
- テレンス・タオ(p.261)
- ウェンドリン・ウェルナー(p.261) 以上3名は、2006年夏のフィールズ賞受賞者。同時に受賞したペレルマンは辞退した
- ジャン=ミシェル・カンター(p.264) 数学者から科学史家へ転身