解きほぐすのが難しい疑念

孤独死や自殺の現場を清掃する会社のレポートを観た*1

賃貸で一人暮らしのケースでは、ご遺族に連絡しても90%以上が引き取りを拒否するという*2。 けっきょく大家さんが、清掃を実費で引き受けざるを得ない*3。 ⇒孤独死する率が高そうな人ほど、部屋を貸すのがリスキーになる。(孤独死を見越したシステム設計が必要に思える。)


自殺した20代後半の男性が、母親と姉にあてた肉筆の遺書:

 残りの人生を一人ぼっちで生きていくのが怖くなりました

アパートだったこのケースでは周辺住民のほとんどが転居してしまい*4、オーナーがご遺族に賠償請求していた。


生きていても死んでいても、人には関わりたくない。
人間は基本的に、お互いが「リスク」でしかない。


孤独はリスクだが、人とかかわってもトラブルだけ。
「人と関わろうとすること」それ自体が、利用されやすい弱みになる。


社会に参加することと、《人とかかわること》が、別であるべきではないだろうか。
「人とは一切かかわっていないが、お金は稼いでいる」ための、環境整備は可能か。
無理なら、つながりの作法を徹底して考え直さなければならない。
それができている人は一人もいない――というか、人間には無理なのか。



*1:火曜エンタテイメント「緊急ドキュメントSP! ニッポンの衝撃現場2 都会で増え続ける老人の孤独死」。 以前に録画したものを再視聴。

*2:番組に出ていたケースでは、ご遺族は遺体の引き取りや後処理を拒否し、「遺骨だけなら引き取る」と言っていた(大意)。

*3:番組内のケースでは50万円

*4:硫化水素で大騒ぎになったらしい