濱野智史 (プロフィール)

* 帰宅早々に東さんの熱い復習 tweet が連投あったのでRT(ReTweet)。 補足で僕は『社会契約論』の該当部分の日本語訳を tweet しようと思う。ソースは白水社作田啓一/原好男訳の『社会契約論;人間不平等起源論 (イデー選書)』p.36-37. 一般的に入手しやすい岩波文庫版とは違うので注意。

* 「人民が十分な情報をもって討議するとき、もし、市民相互があらかじめなんの打ち合わせもしていなければ、[一般意志との]わずかな差が多く集まって、その結果つねに一般意志が生み出されるから、その結果は常によいものであろう。」(作田啓一訳『社会契約論』白水社版)

    • 東浩紀の返答: 濱野くんのツイットに原典的に言うと、「その結果は……」の部分は仏語では et la délibération serait toujours bonne. つまり「その熟慮は……」という文章でまたキーワードが繰り返されている。

* いま引用した次の文は、有名な中間集団の否定に相当
「ところが、部分的結社である徒党が、大結社[=政治体]を犠牲にしてつくられると、これらの部分的結社のおのおのの意志は、その構成員に対しては一般的であるが、国家に対しては特殊的となる。」
* つまりルソーからは、今日僕が提案したキャラクラシー、すなわちキャラクターを仮想の政治家=政党=部分的結社(アソシエーション)とみなす僕の立場はがぜん批判されているのだった・・。というかルソーの発想だと初音ミクで結束できる単位で国家つくれや、ということなのかも・・
* ルソーがいうには一般意志を「階層化」ないしは「カプセル化」することが誤りの一歩、と読めますね。

* 引き続き「社会契約論」の同じ箇所から引用:
「それゆえ、一般意志が十分に表明されるためには、国家の中に部分社会が存在せず、おのおのの市民が自分だけに従って意見を述べることが必要である。」 つまりは、「空気読まなければ一般意志になるお」、ってこと。
* 余談だけどこの点から「ネットワークから切断する権利」をあらためて再考してみてもいいのかもしれない。プライバシーなり云々というより、空気(あるいは「沈黙の螺旋」なり「サイバーカスケード」)から降りる権利、としての。
* というかこの「ネットワークから切断する権利」「降りる自由」「存在の匿名性」は、東さんの「情報自由論」の主要な論点でしたよね。いまそのことを思い出してました。

*, * 『社会契約論;人間不平等起源論 (イデー選書)』p.36 「全体意志と一般意志とのあいだには、しばしばかなり相違がある。後者は共同の利益だけを考慮する。前者は私的な利益にかかわるものであり、特殊意志の総和にすぎない。しかし、これらの特殊意志から、[一般意志との距離である]過不足分を相殺させて引き去ると、差の総計が残るが、これが一般意志である。」
*, *, * いまさっき引用した部分の注釈も実は熱い。ちょっと長いけど引用する。
「ダルジャンソン候は言う、『各人の利益は、それぞれちがった原理を持っている。二つの特殊な利益の一致は、第三者の利益との対立によって形成される』と。彼はこう付け加えることができたであろう。すべての人の利益の一致は、各人の利益との対立によって形成される、と。かりに、相異なる利益がないとすれば、共同の利益はなんの障害にも出会わないから、人々は共同の利益にほとんど気づきもしないだろう。すべてはひとりでに進行し、政治は技術(アール)であることをやめるであろう。」  この最後の「技術」の部分を、僕はアーキテクチャと拡張して読み替えたい。差異から一般意志を引き出す技術。今日のウェブ学会風にいえばそれは「知の構造化」なり「集合知」になるはずなのだ。