社会に継続的に参加できるとは、継続的に振るえる権力を維持できるということ。

「仲良くなる」ことが目的なのではなくて、権力の担い手として仕事を維持できるようになること。
自分の正しさを当たり前だと思っている人は、みずからが暴力の担い手になっていることに気づかない。 100%正しいことにされてしまった暴力は、暴力と呼ばれないから。