「階級をときほぐす言語をなぜ持っていないの?」(田中泯)

自分の声でもういちど組み直す、というのは、臨床上どうしても必要なプロセスで、それは「ケア」とも違う。

根拠づけの方法を失った現代の私たちは、放っておくと極端に硬直するかインフレを起こすかなので*1つくるプロセスとして自分をまとめねばならない。 ▼身体障碍や知的障碍の議論では、この《主体構成の危機》を扱う議論がまったくない。 精神疾患についても、《構成過程》を内在的にあつかった臨床論が見当たらない。 異常はあくまで「観察対象」になっている。

    • 検証してつくり直す過程は、関係性と共にある。 関係パターンの固定は、自分を再生産するときのパターンの固定になる。
    • ベタな順応主義は、自分のアリバイを誇示するパターンに固着している。 身近な人間関係はやたらとフレンドリーになるが、そのフレンドリーさは「メタな正当化」への全面服従で担保されているため、階層関係は変わらない。 関係パターンの固定によって成立する “フレンドリーな” 党派。
    • ギデンズでは、専門性は「脱埋め込み」の話だったはずが(参照)、現代ではむしろ「専門性への埋め込み」が害悪になっている。


*1:それは同じまずさの両面だと思う、うまく歯車がつながらない