「関係をチェックする仕組み」についても、民主主義のような「必要性と不可能性」がある。

 一人ひとりが芸術家として自己成型し、「自分自身が「関係をチェックする仕組み」になろう」と試みることしかできないのではないかと私は悲観している。(重森さん

チェックする仕組み自身がチェックされねばならず、無限後退してしまう。 しかしとはいえ、そういう問題意識は不可欠。 「無理なのだが、取り組みは続けざるを得ない」。
精神科医になる―患者を“わかる”ということ (中公新書)』の「症例検討会を検討する」という章では、症例検討会が閉じてしまう構造が語られている。 著者の熊木氏の提案は、治療者が同一の症例を複数の検討会に持ちこみ、その結果を比較するというもの。 つまり、「関係のチェック」について、セカンドオピニオン、サードオピニオンを求める

    • 「関係のチェック」というのは、民営の裁判のような活動だが、部分的な登用でしかない裁判員制度ですら揉めるのだし、すべてを自前でというのは難しい。 よっぽどの強制力がなければ、人は検証行為に従事しない(参照)。 しかし「お互いに相対的なチェック機構が、複数併存する」*1というのは重要なヒント。
    • 《関係=権力》のチェックについては、何があったのかを詳細なアーカイブにしておくだけで意義がある。


*1:日本の裁判は、最後に最高裁を構えた三審制だが、これは階層状なので、並列的なセカンドオピニオンとは違う。