データ的相関と、人格的抑圧

  • 「調整するのは人格と人格ではなくデータとデータ」(参照)と主張する東浩紀氏は、しかし「人間関係」をもち、コミュニティらしきものを生きる。 対面の関係にはどうしても人格的縛りが生じる(たとえば通りすがりの人に道を聞くだけで、“気まずい” 時間が生じる*1)。
  • 本当は大勢がその状態なのに、みんなが隠そうとするので、表面化した人が少数派に見えることがある。
  • 社会的排除においては、「内と外」だけでなく、「表と裏」がネックになる。 学生時代には「正解」を言うことで包摂されたが、社会に出てからは、「本当のこと」を言ってしまえば干される。
  • 《データとデータの調整》には、人格関係に生じるような抑圧は生じないだろうか。 データ相関に頼り切るゆえに解除できない抑圧があり得るのではないか。


*1:好意的にふるまうことで、かえって相手に規範的縛りをかける