唯物論的精神医学 メモ


  • 意識そのものを身体的・社会的なプロセスの危機として理解できないために、実存と唯物論が分かれてしまう。語っているみずからの生産態勢を問うことをせず、「実存は本質に先行する」というこの言い方がすでに、メタ語りのプロセスにしかなっていない。サルトルは、語るみずからが身体的な分節プロセスであることを無視・抑圧した。デカルト的自我と見えるものは、分節プロセスとしてしか存在しない。(メルロ=ポンティによるサルトル批判の焦点はここにある。)


  • 実存と唯物論が分かれたために、「タダモノ論」でしかない脳髄論と、その「語りの態勢」に惑溺するナルシシズムだけになる。彼らはそこで、自分の生産態勢の揺らぎを回避する。


  • 「環境管理と動物化」「感染せよ」*1といった語りにおいては、ストイックに実存が等閑視されていると見えて、じつは実存の危機こそが抑圧されている。彼らの生産態勢は、実存の危機への直接の解答であり、その誇示なのだ。それは、「実存のフレーム問題」の忘却であり、その忘却自身をなかったことにしている(忘却の忘却)。


  • 人工知能を作れるようになることは、精神医学の飛躍的進歩になるはず。ところが人工知能論は、形式的な論理の枠組を検証するばかりで、「語るプロセス」の危機を見ない。人間と「物質機械」の境界は、《労働のプロセス》にある。機械には、「反応」はあっても、政治的葛藤はない。つまり、言語の分節プロセス特有の危機がない。


  • ハイデガーの労働論は、つねに「現存在の存立構造」に向かい、語りのプロセスじしんが固定的な敬虔さに向かう。前期から後期への移行は、もともとあった「敬虔さの構造」をあからさまにしただけではないか。 【7月9日追記】: むしろ、彼が生き抜いた労働過程の特異さを考えること。


  • 意識の唯物論を語るなら、それを語るみずからが分節プロセスであること、このプロセスがみずから自身の《つながりかた》=《社会化のしかた》を体現し、政治的緊張を処理した後の姿であることを無視できるわけがない。


  • 唯物論的精神医学」という言い方はドゥルーズ/ガタリがしているが、メタ語りでしかない現象学精神病理学にも、タダモノ論でしかない生物学的精神医学にも、介入できずにいる。木村敏的なメタ語りも、精神薬理学を語るだけのメタ語りも、それぞれの生産態勢における唯物論的なプロセスそのものであり、ご自身のプロセスが身に帯びる葛藤を、そのスタイルで固定的に解決したにすぎない。その忘却パターンの大規模な反復が、「業界の支配的メンタリティ」になり、あるいは産業化する。


  • 不登校・ひきこもりは、《主体のまとめ上げプロセスの危機》として主題化されなければならない。関係に巻き込まれようとしたとき、本人が主観的に「がんばろう」としたとき、意識は同じ《まとめあげ》のパターンを反復してしまう。その、起動時に反復されるパターンの固定*2にこそ問題があるのだから、結果的な意識や状態像だけを肯定していても、臨床的に介入したことにはならない。左翼やリベラリズムの規範言説に、臨床的なモチーフはない。


  • 「臨床を趣旨とした制作」*3は、批評的介入を拒絶することで、かえって有害であり得る。 制作が、《まとめあげの危機》を回避するための嗜癖であることがある。 自傷行為を続けるように、あるパターンの制作が続く*4。 批評は、それ自体が制作であり、語るみずからにとって臨床過程になる。


  • 社会に「秩序問題」があるように、精神に秩序問題がある。サルトルはそれをデカルト的自我に、脳学者は物質過程に置き換えてしまう。ほとんどの論者は、「語るみずから」の秩序化を、規範言説や学問ディシプリンへの従順さで解決し、あとはふんぞり返ってしまう。廃絶されることのないはずの「語りの危機」は忘却される。


  • 必要なのは、あるスタイルで《まとめあげの危機》を忘却することではなく、この「精神の秩序形成」そのものがはらむ危機を主題化し、そのつど生きなおすことだ。 批評・臨床・制作の一致はそこにある。 【cf. ジャン・ウリTraitement, formation et recherche sont inséparables」(治療、組み立て、研究は分離できない)】


  • 社会参加の臨床については、それを扱う側じしんの《順応のスタイル》=《まとめ上げへのご自身の解決のしかた》が問われる。 ところが、「語っている自分じしんの制作過程」を、誰も問題にし得ていない。 ▼学問やメタ言説の “優等生” に、ひきこもりは扱えない。 単なる弛緩も、単なる制度順応も、この問題を扱うのにふさわしくない。




*1:それぞれ東浩紀宮台真司

*2:それ自体が、《まとめあげの脆弱さ》へのリアクション。 反復される権威主義ナルシシズムは、すべてこの問題圏にある。

*3:「芸術療法」うんぬん

*4:いわゆる「当事者語り」は、そういうものになりがち。