臨床性を中心に考えること

文化系トークラジオ「Life」、5月24日のゲストは東浩紀氏で、タイトルは「現代の現代思想」。リアルタイムに声を聴けたのがとても刺激的で、たくさんメモを取りながら最後まで聴取した。出演者たちと意見が同じとは言えないけど、逆にそこから「じゃあ、自分はどう考えるんだ?」を整理する動機をもらった。以下、本当はこれも声で論じあいたいけど、ひとまずブログにメモしてみます。 5月27日追記: リンク先の下のほうで、放送の音声ファイルをダウンロードできるようになっています。】

  • 「思想は役に立つか」。斎藤哲也が「思想をクスリのように考えてる」と言ったように、苦痛緩和の処方箋として様々な切り口が試されている。私はそこで、ユーザーと提供者の回路が固定されているのが耐え難い。 たとえば、文字通り「クスリを使う」しかないなら、取り組みのパターンが固定される。そこに小難しいリクツが語られていなくても*1、私はそれを「思想が固定されている」と理解する。そこには、モノとモノの相互消費関係しかない。
  • 「このままではどうにもならない、こんな言説しかないのでは耐えられない」。 欠けた部分は自分で作っていくしかない。 その取り組みは自前の臨床活動にあたる。(精神医学や心理学を参照していなくとも。)
  • 人が苦しむ理由はさまざま*2。 それぞれの焦点に合わせて、それぞれの人が「こう考えるべきだ」「こう整備すべきだ」と主張する。でもそれがお互いに不都合になったりする。 ▼論じることを止めても、苦痛は続いている。思想の根拠は、苦痛緩和の具体的な取り組みの中にある。
  • 「実存と制度を分けろ」という欺瞞言説が耐え難い。彼らは、そう語ればアリバイになると思い込んでいる。実存と制度は、分けられない。実存が制度的に生きられている。 ▼「○○に実存を問うな」という人は、実はその「○○」でご自分の実存を処理している。自分の実存の制度を安定させてくれる作業課題は、「実存の処理装置」として効率的。
  • 実存の過程そのものを唯物論的に語る精神病理学がない。 苦痛緩和を考えるなら、「実存と唯物論」ではなくて、「実存の唯物論」が要る。 それは単なる脳髄論でも単なる実存論でもない。 どんなに歴史が進んでも、実存の唯物論的プロセス(労働過程)が廃棄されることはない。
  • 正当性の調達のしかたは、つながり(社会性)の生きられ方になっている。社会で生きられているそのスタイルが耐えられない(ぜんぶ間違ったアリバイ作りに見える)。既存のスタイルで正しさを調達している人たちの、「敬虔な欺瞞ぶり」が耐えられない。
  • つながりは、実体ではなく、プロセスとして実現されるしかない。つながりの再生産において、そのパターンが再生産され続ける。左翼コミュニティに限らず、《既存のつながり方》に耐えられない(オタクもメタ言説も)。私にとって最も倫理的・身体的であるはずの、継続可能な再生産のパターンが、社会的に排除されてしまう。
  • この肉体に意識があることが、水気を帯びた肉の感覚とともにある。人間の姿も存在も水っぽい。語る自分が身体であることを無視した思想には、まったく耐えられない。論じている自分は、肉の過程を生きている。すでに制度を生きている。
  • 「制度分析」「制度を使った方法論」は、臨床性に照準し、プロセスを中心に考えることの結果として、お互いの意思決定の相関をきわめてあいまいに考えている(参照)。 ジャン・ウリは「知らないうちにものごとが決まっている」というのだが*3、このあいまいさは、活動趣旨への説得として失敗している。▼意思決定の手続きがあいまいでは、発言力の大きさに合わせて私的都合が通されてゆく。参加者各人の政治力がむき出しで問われる。「精神医療の政治化」において、パワーゲームのるつぼに全員がもう一度投げ込まれるが、それは実態としては「発言力の強い人の言い分がいちいち通ってしまう」ことではないか?
  • 「精神医療の再政治化」というより、そもそも精神医療は政治的でしかあり得ない。「精神医学」に、確定した方法論はない(生物学派が多数派になっているだけ)。 臨床上の中心課題として《プロセス》に照準したうえで、正当化や集団的意思決定について問い直さないと。 《内側からプロセスに照準する》という点をだあれも理解せずに論じている。 ▼ジャン・ウリあるインタビューは「Traitement, formation et recherche sont inséparables」(「治療・組立・研究は分離できない」*4と題されている。そっけなく書かれたこのタイトルに、私がこのブログで繰り返している固執点が凝縮されている。内在的論究はそれ自体が臨床過程であり、公共性に向けた組み立てであり、《つながり》を呼びかける唯一のチャンスになっている。
  • 手仕事のしんどさを嫌がることで、別種のしんどさが襲ってくる。




*1:リクツを嫌うからクスリと診断名に頼るんだろう

*2:「社会参加できない」「承認されない」「金がない」「体が動かない」「公正な制裁がない」など。とはいえ、むしろ「自分は何を苦しんでいるのか」をきちんと本当に言葉にできれば。できていないよ、まだぜんぜん。

*3:医療環境を変える―「制度を使った精神療法」の実践と思想』p.34

*4:この「組立」に、永瀬恭一氏らの「組立」をつなげることは的外れでないはず。