「母親のおかげで、ヤクザから恩恵を受けてきた」

宮台真司日本の難点 (幻冬舎新書)』pp.95-6より:

 そんな母親の構えのお蔭で「自分の母親は世間の母親よりもずっとスゴイ」と思えました。そうした母親の子であったせいで「浅ましい奴」や「セコイ奴」には絶対なりたくないと思うようになったのでしょう。これも「目的」や「手段」ではなく端的な「衝動=感染的模倣」だろうと思います。
 もちろん、そんなふうにしてできあがった僕の構えが実利をもたらす面が確かにあります。それはスピノザも言っていることです。僕の場合、売買春やクスリのフィールドワークをする際にヤクザにケツ持ちしてもらってきました。お蔭でこの方面でたくさんの著作をものすることができました。
 女の子がストーカーにつきまとわれて困っているというようなときも、警察に頼んだら(ストーカー規制法成立以前だったので)半年以上もかかるところを彼らが三時間で解決してくれることもありました。僕の研究に役立つ情報をたくさんくれたりもしました。でも、どれも結果にすぎません。



ここで宮台氏は、「社会学者として踏み込んだフィールドワークをしようと思ったら、ヤクザと付き合わなければ無理だ」と言ってしまっている。そしてこれを公言したということは、社会学の関係者も、彼の勤務先である首都大学東京も、ヤクザとのつながりを黙認し、ご本人もそれを承認させるつもりなのだろう。

「母親がスゴかったから、感染的に模倣した」→「ヤクザから恩恵を得て生きてきた」というのだが、この宮台氏から「感染的模倣」を得た学生たちが、社会学的業績のために(つまり、結果だけを得ようとして)ヤクザと付き合うことにチャレンジすれば、大変なことになりはしまいか。


ストーカー問題は、たしかに警察に頼んでも難しい。ストーカー規制法成立以後でも、同性どうしのケースでは動いてくれないし、半年かかっても「解決する」保証なんて何もない。では、「三時間での解決」を求めて、ヤクザに頼るべきだろうか。私がトラブルに際して受けた忠告や関連書籍では、たいてい次のように語られている。

 ヤクザというのは、経済的・社会的な見返りのないところでは動かない。もしあなたがヤクザから恩恵を得たら、彼らはどこまでも見返りを要求してくる。一般人がヤクザに頼ったら、あとは骨の髄までしゃぶられるよ。絶対にかかわってはダメ。

これが本当だとすれば、宮台氏は、ヤクザとのつながりを維持できる特殊な条件をほかに隠していることになる。本当は、その「特殊な条件」のほうにこそ生き延びるコツや方法論があるのに、宮台氏はその部分を明示せず、話を終わらせてしまう。 ▼「母親がスゴかったから」というのであれば、母親がスゴくなかった人たちは、参考にしようがない。あるいはこれから宮台氏に感染すれば、ヤクザとも付き合えるし、そうすべきだ、というのだろうか。

宮台氏は、いつも「処方箋を出す」のではなく、「うまくやれている自分を誇示する」。 そして、彼自身が救済された肝心のいきさつは真似できないようになっており*1、その救済の実情とは解離した修行プログラムが若い人に押し付けられる。(ex.「リベラルであるためには性愛体験をたくさん積むほうがいい」とくり返し論じ、ナンパ指南で若い人を指導しながら、ご自分は性愛体験の少ない女性と結婚して救われている。知識人として公示している規範と、ご自分が救われているいきさつが解離しているのだ。)


ひきこもりという被差別属性に苦しみ、身近なトラブル一つをうまくさばけずにいる私は、「なんらかの形で組織暴力を味方につけなければ、この日本社会では生き延びられないのではないか」と疑い始めている。 つまり、宮台氏の言うことが本当に正しいのであれば、単に「ヤクザと付き合ってはダメ」では問題に取り組んだことにならない。 「ヤクザなしでは、重要な研究も社会生活も維持できない」――これが本当なら、行政や民間の社会復帰事業は、どこまでも欺瞞に満ちた仕事をしていることになる。


「ヤクザのおかげで成功できた」という宮台氏は、それを単に「母親のせい」にするのではなく、

    • ヤクザとのつながりがなければ、踏み込んだ社会学的調査はできないのか
    • できないとすれば、宮台氏のような初期条件を持たない人はどうすればいいのか
    • ストーカーや身近なトラブルに苦しみ、警察も役に立たないと感じている一般人は、どうすればいいのか

――こうしたことを具体的に語ってくださるのでなければ、「私は特殊だったからうまくやれた」と言っているにすぎず、参考にならない。(くり返すが、そんなものに「感染」して結果だけを真似ようとすれば、大変なことになる。)*2


この私の質問そのものが、「あさましい」のだろうか。
ベタな感染的模倣の推奨は、成功事例だけを押し付ける。 「自分にはできた」というナルシシズムは、その成功体験のディテールを隠蔽する。・・・・本当の処方箋は、「感染」ではなくて、実態のディテールを検証し、素材化することにある。

【「目指すべき包摂性のスタイル」へ続く】


*1:生来の与件や、単なる偶然性に頼った出会いなど

*2:他の人にはできないが、宮台氏だけにできたのであれば、そこに特異点性が仮構され、「だから崇拝せよ」となる。 「底の抜けた社会」において、「根拠なき成功」と見えるものが仮構され、崇拝の理由として押し付けられる。