「順応の現象学」を研究する人は、自分が何に順応しているのかを語らないと。(現象学という順応)
プロジェクトに自分が順応したことで、周囲の誰かが利用されたり順応できなくなったりしているかもしれない。
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- 同席しているだけで、両者は何かに順応している
- 直接順応を目指すことが、かえって順応をダメにする
この2つに、ほとんどの人が気づいていない。
適応とは「生きのこる」ことである。それはまさに相対的な行為であって、他者を凌いで生きる、他者の死を凌いで生きるということにほかならない。 (石原吉郎「強制された日常から」)*1
ここで、「他者」の代わりに、「制度」を置いてみる。
適応とは「生きのこる」ことである。それはまさに相対的な行為であって、制度を凌いで生きる、制度の死を凌いで生きるということにほかならない。
順応を、たんに罪悪感に落とし込まないこと。
生きているだけで何かに順応している。(草原に生きていても)