受傷性と暴力

  • 高度に開放的で分析的な姿勢(メタとベタの往復の徹底した維持)は、あまりにも受傷性が高くなる。それは、くだらないトラブルにも全力で傷ついてしまい、他者の恣意的で傲慢な暴力にも全力でみずからを開いてしまう。開放的姿勢自体が、恐怖をいや増す。これでは、その開放的姿勢の維持自体がナルシシズムを構成している、としか言いようがない。▼開放的な姿勢それ自体は、制度的な(法的・「学派」的な)強制力を持たないために、まったく相手にされず暴力や制度に屈するか、関係各人のナルシシズムに回収されてしまう。――あまりに無力すぎる。そのような状態では、開放性に費やされるべき貴重なエネルギーが、いちいちくだらないトラブルに浪費されてしまう。開放的=解放的なスタンス自身が、一定の仕方で制度的硬直を生きねばならない時間もある。


  • 開放的な姿勢は、どのように制度的に保証し得るのか(ラカン派は「パス」という認証制度を試みて失敗した)。 制度に対する開放的姿勢を制度的に保証する、というのは、矛盾にも思える。