「産み落とされた迷惑」という言い分

ひきこもっている人の一部は、途方に暮れた絶望の中で、「産んでくれと頼んだ覚えはない!」*1と叫び、「生きていたくない!」と言いつつ、扶養されて生き延びている。 この主観のよじれの内実については、抽象的な理論としても、具体的な技法論としても、徹底的に検証されるべきだと思う。
今後の処遇を本人と相談して決めるためにも、単に軽蔑して済む問題ではないし、ここを無視することは、ひきこもりの内的リアリティを無視することを意味する。 負担をこうむる側がどこまでそこに付き合うのかの線引きをするためにも、そのリアリティがどんなロジックを含んでいるかについて、対話的に検討される必要がある。 【この屈辱感の主観的リアリティは、無視できないほど強靭だ。】





*1:参照