感想雑記

  • 小田晋氏は、自己愛的な若者が心底憎いのだと思う。 その憎悪を小田氏が持つのは仕方ない。 問題は、それが権力として機能してしまうこと。(多数だったり医師だったり)
  • 「病気として治療すべきである」という話と、「正常であるくせに病気のフリをするから許せない」という話とが、ものすごく恣意的に混同されている。
  • ひきこもっている人は、赤の他人との関係においては圧倒的な交渉弱者だが、結果的に衣食住を確保しているのだから、家族との関係においては、あるいは社会的事実としては、一定の権力を生き続けている。 ▼家族という場自体が社会的・歴史的に構成されているという事実は無視できない。 その親密圏に必要なのはどのような正義か。
  • 小田氏のような言い分は、さすがに破綻して見える。 それよりも、「リベラルな社会では、自己愛が強くて交渉能力が低いだけの人間は、無理やり社会参加もさせられないけど、逆に言えば単に放置されるよ」というほうが現実的で冷酷。
  • 生き延びるためには、周囲や社会との交渉関係が継続される必要があるが、自己愛的な人間は見放されてゆく。 周囲にも「見放す権利」がある。 「○○するべきだから」という規範ではなく、お互いを受け入れたり見放したりする「ケア」*1と「交渉関係」の枠組みで、社会参加の問題を再検討できないだろうか。




*1:参照: 樋口明彦正義論にケアの視点を導入する」 【※『「準」ひきこ森』の樋口彦氏とはまったくの別人なので注意】