二種類の再帰性と、その二重化(宮台真司)

■「『文庫増補版・サブカルチャー神話解体』 あとがき

 再帰性reflexivity)概念には、社会学に限定すれば、社会システムに準拠したルーマン的用法と、人格システムに準拠したギデンズ的用法とがある。説明しておこう。
ルーマンの用法は、ベイトソンGregory Bateson)経由で数学概念を転用したもので、学習についての学習に見られるような「手続きの自己適用」を意味する。私はやや転用し、「選択と同時に選択前提もまた選択される」という非自明的な選択の在り方を指して使う。
■ギデンズ(Anthony Giddens)の用法は、言語学に由来するもので、自己を対象にするような行為の質的変化を指す。カウンセリングやニュース解説が氾濫する社会の中、人々の行為は多かれ少なかれ、「行為記述を含めて予め知られた自分」をなぞる以外なくなる。
ルーマン的用法(の転用)は、例えば「再帰性の泥沼」という私が頻用する概念に見られる通り「自明な前提の消失」という社会的事態に関係する。 ギデンズ的用法は、「全てが既知性に支配される(がゆえに入替可能性に晒される)」という実存的事態に関係する。
■前者は、社会システムが自らに必要な前提を自在に作り出す「全て手前味噌で、外がない」事態を観察する視座にとっての概念である。後者は、人格システムが自らの固有性を知ろうとして却って自らを一般的対象へと拡散する事態を観察する視座にとっての概念だ。
■両者の間に密接な理論的関連があるが、詳しくは述べない。ただ両者が相俟って謂わば人間学的問題を惹起することは夙に知られる処だ。

■即ちここに於て、ルーマン的概念に即した「泥沼の再帰性が──「社会の底が抜けている」との感覚が──顕在化することになる。先に触れたルーマン再帰性概念とギデンズ的再帰性概念との間の密接な理論的関係を、証左するような事態が訪れたということだ。
■理論的には「晩期資本主義における正統性問題」(ハーバマス Jürgen Habermas)が噴出する。第一に、感情より大切な正統性原理を見出しにくくなる。第二に、まともな感情の働きとそうでないものの識別原理が不明になる。相俟って不安のポピュリズムを来す。