「事実としての思考」と、自由連想

自分に生じている「事実としての思考」をなるだけ丁寧に言説化し、それをメタに検証する作業を共有してくれる人は本当に少ない。 ▼「べき論としての思考」か、素朴な心情吐露ばっかり・・・
これは、精神分析で言う「自由連想」の問題と、関係するだろうか?
自由連想は、「素朴な心情吐露をする」といった想像的(イマジネール)な自己確認とは、別種の作業であるはずだ。
【参照:「事後的な責任構造の枠組み」】