ひきこもりに関連する読書会チャットや斎藤環さんのイベント発言などを通じ、《再帰性》という概念が重要に思われてきた。 ▼先日のイベントで配っていただいたレジュメで少しだけこの話に触れてみたので、ほぼそのまま転載してみる。
- 強迫観念の枠組みとしての再帰性―――“必然性”の確認強迫
- 「ひきこもりは、状態像そのものへの嗜癖」(斎藤環)
- 「ひきこもりを抜け出す理由」と、「依存症をやめる理由」は似通う。 その状態は苦しいし、放置すれば死に至るかもしれないが、逸脱とされる状態を抜け出て「社会復帰」しても、そこには地獄のような生活しか待っていない。
- 再帰性の苦しさから抜け出すスタイル
- 「症候的な生」の林立を許すリベラリズムと、公共圏
- 『当事者主権 (岩波新書 新赤版 (860))』の不人気
- 「当事者性」は、社会的に決められる。 → 政治的アジェンダとしての優先順位。
- 「重層的決定」(アルチュセール)――「症候的緊張を、社会的に生きられているものと理解する」?
*1:この表現は、知人が教えてくれた。