vivid な論点

番組では、やはりニートに対して「生きろ!」という命令形しか出なかった。 みんな苛立ち、基本的に説教したがっている。 「殴りつけて強制的に何かさせなければならない」と思っている。
もしあの場で、当事者の誰かが「生きたくない。 『養ってくれ』とは言わないから、せめて安楽死のセンターを作ってもらえないだろうか」と言ったら、あの出演者たちは何と言うだろう。


ひきこもりとニートは同じではないので慎重に論じる必要があるが、ひきこもり当事者で、「親が代わりに年金を払ってくれる」ことにものすごい罪悪感を感じている人は多い(何度も直接打ち明けられた)。 親に負担をかけている申し訳なさと同時に、「年金受給開始年齢まで生きたくない」と本気で思っているのだ。


「本当に死にたいと思っているのか」、「生きようという意志は本当にないのか」という点については、もちろん葛藤があって当たり前だし、どんどん議論すればいい。 でも、「生きることしか許さない」という説教には、ものすごい欺瞞を感じるのだが。
それともやはり、「自逝センター」(公共安楽死施設)などができてしまえば、「怒りに満ちた労働者たち」が、ニートや引きこもりを強制的に送り込んで抹殺しようとするのか。 【cf. 世界中の障害者団体は、必ず安楽死法案には反対している。 「都合のよい自己決定」参照。】


弱者でも生きていけるための人的・社会的環境整備は、可能なかぎり、徹底的に続けるべきだ(死を強制することがあっては断じてならない)。
しかし、100%の全面的カバーは絶対に不可能。
「楽に死ねる」という選択肢が、どうして許されないのか。*1


以前一度話題にしたものの、危険だし、あまりに現実味がないので放置していたが、やはり「議論を明確にする論点」としては、≪安楽死≫は有効ということだろうか。





【追記】

誤解のないように(といってもどうせ誤解されるのだろうが)付け加えておけば、「自逝センター」のようなものができたとして、それを真っ先に利用したいのは僕自身だ。
僕は今後も、「元気に楽しく生きていく」ための努力を続ける。 ひょっとしたらその努力が実を結び、僕は明るく仕事をできる状態に落ち着けるかもしれない。 そうなれたらいいと思っている。 だがそうなったとして、そのときには僕の「自逝センター」云々の主張は、「上山は自分以外の当事者を抹殺しようとしている」という話になるのだろうか。 ―― そんなバカな。 冗談じゃない。


僕が真っ先に目指しているのは、「現状では引きこもるしかないような人でさえ生きていける(働ける)ような環境作り」であり、一種の「精神的バリアフリーな社会だ(当たり前だ)。 だが――繰り返しになるが――それを「理想」として掲げ、努力するのはいいとして、しかし現実にはそんな社会は遥か未来だろうし、そもそもやってこないかもしれない。 救済されないまま追い詰められる人がほとんどなのであり、それを放置するのは冷酷すぎるのではないか、という話をしている。*2


激痛に苦しむ社会的弱者のために具体的な行動を起こしていない人物が「命を大切に」と主張する ―― こんなに偽善的なことがあるだろうか。 弱者を、悲惨の中に放置しているだけだ。
「協力するから、一緒に努力しよう。 どうしてもダメなら、なるだけ楽に死ねる方法を考えよう」―― これのどこが「非人道的」なのか。*3


ようやく気付いたのだが、どうやらこのあたりの話は、社会保障などの≪政策論≫と、≪バイオエシックス生命倫理)≫(自己決定権など)の話が切り結ぶ交点ではないのか。 【気付くの遅すぎ(泣)】







*1:「死にたいなら自分で首を吊れ、≪安楽死センター≫だなんて、税金に頼るな」という声もあるようです。 しかし、それは自殺者やホームレスを「迷惑」としか考えない発想と類縁では。 一種の黙殺であり、「社会にはそんな問題はなかったことにする」という態度ではないでしょうか。 「生きていかれない人間に、安楽な死を用意する」というのは、人道上も意味があると思うのですが。

*2:自逝センター」に、政治的な現実味がほとんどないことも承知している。 だが少なくとも、論点の整理には役立つはずだ。

*3:アメリカでは、人工妊娠中絶に反対する人物が、中絶手術を続ける産婦人科医を射殺した 【完全な確信犯であり、処刑される前日には笑顔で記者会見を開いた。 こちらには犯人を支持するプラカードも見える】。 「胎児を殺してはならない」と主張する人たち(強姦被害による中絶すら認めないことがあるらしい)が、「望まない出産」後の女性や子供の面倒を見ることがあるのだろうか。 「命を大切に」と一つ覚えに主張する人々の、とてつもない欺瞞を感じる。